「女性が職業人として幸せに」 着物縫製会社の後継ぎ姉妹が浸透させたオーダーメイドの働き方
富山県氷見市のラポージェは、フルオーダーの着物づくりを手がける会社です。徒弟制が根付き、工程を1人で担っていた業界の慣習を打破しようと、1979年の創業以来、分業制の導入や和裁専用ミシンの自社開発などを進めました。2017年に創業者の母から経営を継いだ、2代目の白石小百合さん(56)と櫻打麻祐さん(50)姉妹は、母の礎を受け継ぎつつ、カーテン製造用機械の開発、社員のライフステージに合わせた勤務体制の柔軟化、コロナ禍の落ち込みを受けた産業観光や新商品開発に挑戦。「仕立屋」の存在感を高める職業人集団として、長く続く経営を目指しています。 女性が活躍できる中小企業 時短勤務・教育制度の事例を紹介【写真特集】
和裁を学んだ母が起業
ラポージェは姉妹の母・白石末子さんが、大病の影響で動かしにくくなった手のリハビリのため、30代で和裁を学んで起業しました。10代から和裁を学ぶ学生が、そのまま講師から仕事を請け負う徒弟制度に違和感を覚え、独立を決意したといいます。 1990年に現在の場所に工場を建設して法人化。高い技術力で着物のナショナルチェーンなどに取引先を広げています。2024年5月時点の社員は20人、年商は9500万円です。 姉の小百合さんは「私も妹も、物心ついた時から家業を手伝っていました。晴れ着や浴衣のシーズン前は多忙で、母は家に戻るひまもありませんでした」と振り返ります。
分業制と機械開発で生産性向上
1980年代後半ごろ、製造業は安い労働力を求めて海外に進出。末子さんは高卒の新入社員採用を機に、一人の職人が全工程を手縫いで進めていた着物づくりの分業化を進めました。 「母は初心者も熟練者もできるように、手縫いの工程を15分割する分業制にしました。海外との競争力を高めるため、ミシンによる着物づくりにも挑みました」(小百合さん) 短大で被服を学んだ麻祐さんは「『ミシンは縫い目が汚くなる』というのが伝統的な着物づくりの定説でした。ミシンは曲線が多く立体的な洋服づくりに最適化されており、生地をずらさずに真っすぐ縫う着物づくりは難しかったのです」と説明します。 多くの着物は顧客が反物を選び、体の寸法に合わせたオーダーメイドでつくられます。反物は繊細な図柄も多く、糸1本分の縫い目のずれが品質に大きく影響することもありました。 末子さんは和裁専用ミシンの開発をメーカーに相談しますが、相手にされなかったといいます。そこで付き合いのあったファスナーメーカーのエンジニアをスカウトして自社開発に挑み、着物づくりに特化した「マークレスシーマ」という機械を生み出しました。 「通常のミシンで起きる生地のずれやパッカリング(しわ)を防ぐため、ミシンの押さえ金と送り歯を無くすことで、生地をずらさずに縫えるようにしました。従来はコテで印を付けた生地を動かしながら縫っていましたが、マークレスシーマは顧客ごとの寸法を事前に入力し、一枚一枚に対応した縫い方をプログラミングしています。生地ではなく機械を動かして縫う仕組みです」(麻祐さん) ラポージェは分業制と機械化を強みに、正絹(しょうけん)仕立ての高級着物の生産数を、1日70枚にまで高めました。 先に家業に入ったのは、妹の麻祐さんです。ファッションが好きでアパレル会社のパタンナーになりましたが、25歳のとき、母から「戻ってきてほしい」と言われ、1999年に入社しました。 その1年半後に入社したのが、姉の小百合さんです。「着物は大好きでしたが家業は嫌いでした」。京都の呉服問屋へ就職し、結婚で故郷に戻りましたが「離婚してシングルマザーとなり、家計を担うため家業に入社しました」。 麻祐さんは反物の受け入れを、小百合さんは事務作業を担い、家業の理解を深めました。