新作がカンヌで賛否両論。巨匠 フランシス・フォード・コッポラ監督の歩みを振り返る
『ゴッドファーザー』の大ヒット!
当時、フランシスの才能に魅了された一人が新進気鋭のプロデューサー、アルバート・ラディだった。パラマウント映画からマリオ・プーゾが書いた小説『ゴッドファーザー』(’72)の映画化を任されていたラディはフランシスを監督として雇い、結果的に映画史に残る名作が誕生した。『ゴッドファーザー』(’72)完成までの紆余曲折は、ミニシリーズ『ジ・オファー/ゴッドファーザーに賭けた男』(’22)を是非ともみてほしい。こちらも素晴らしい作品だ。 (映画『ゴッドファーザー』(’72)ポスター)
アカデミー賞作品となった『ゴッドファーザー』(’72)は世界中で大ヒットし、フランシスは若き大物監督とリスペクトされることに。当時、大学で映画を学んだジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグが若き才能を注目された時期で、UCLAや南カリフォルニア大学の映画学校は入学希望者が一気に増えたとか。フランシスの次なる挑戦がジョセフ・コンラッドの小説「闇の奥」の舞台をベトナム戦争中のカンボジアに置き換えた『地獄の黙示録』(’79)。主役の交代劇や役者たちの薬物問題、天候による撮影延期などのトラブルでフランシスも体調を崩した上、メンタルも崩壊したがなんとか完成。 (映画『ゴッドファーザー』(’72)より)
戸田奈津子さんとの友情
ちなみに未完成の段階でカンヌ国際映画祭に出品され、パルムドールを受賞したが、この時も映画界に賛否両論が巻き起こっている。フランシスはやはり、嵐を呼ぶ男なのかも。そして混乱を極めた撮影現場の様子は、フランシスの愛妻エレノアが『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』(’91)というドキュメンタリー映画にしていて、こちらも必見。また日本配給を手がけた日本ヘラルドのスタッフが現地を訪問した際に通訳をしたのがこの映画に字幕をつけた戸田奈津子さんで、フランシスやその家族との友情は今でも続いている。 (写真:戸田奈津子)