信子さま 義母・百合子さまの斂葬の儀にも参列せず…終わりの見えない三笠宮家の“母娘の断絶”
寬仁さまの斂葬の儀の際も、喪主を務めたのは彬子さま
信子さまのこのご決断は、娘たちとの断絶も生んでしまったようだ。彬子さまは父・寬仁さまが薨去されてから3年後に、月刊誌への寄稿でこう明かされていた。 《寬仁親王家は長い間一族の中で孤立していた。その要因であったのが、長年に亙(わた)る父と母との確執であり、それは父の死後も続いていた。母(編集部註・信子さま)は父の生前である十年ほど前から病気療養という理由で私たちとは別居され、その間、皇族としての公務は休まれていた。私自身も十年以上、きちんと母と話をすることができていない》(『文藝春秋』’15年7月号) 「心の底から寬仁さまを敬愛されていたお嬢さま方からすれば、“病気のお父さまを置いて家を出てしまうなんて許せない”という気持ちになられたのかもしれません。’12年、危篤状態になられた寬仁さまに会うため、信子さまは何日も病院に通われたのですが、この時“ご家族の意向”により、ご夫婦の対面は最後まで叶いませんでした。 寬仁さまの斂葬の儀の際も、喪主を務められたのは彬子さま。これには、三笠宮ご夫妻のご意向もあったと聞いています。そして、信子さまは葬儀にも参列されませんでした。信子さまはこうした対応から、お嬢さま方のほか、義母にあたる百合子さまら親族への不信感を募らせていったそうです」(前出・皇室担当記者) 今年8月には、信子さまの現在のお住まいである旧宮内庁長官公邸の改修工事に、2年間で約13億円も費やされることが明らかになった。 「信子さまは寬仁さまが薨去した後も、宮邸にはお戻りになりませんでした。別居宅であるいまのお住まいを大規模改修するということは、信子さまにとって三笠宮邸、寬仁親王邸(現・三笠宮東邸)に”戻るつもりはない”という意思表明の可能性が高いです」(前出・皇室担当記者) 母娘の断絶はいつまで続くのだろうかーー。