「カミソリというより灯台のような人」死去の堀田力さん、行動力、ユーモア…元部下が回顧
ロッキード事件の捜査に携わった元東京地検特捜部検事の堀田力(ほった・つとむ)さんが11月24日、老衰のため亡くなった。90歳だった。追及の鋭さから「カミソリ」の異名で知られたが、その異名がこれほど似合わない人もいない。誰でも包み込むような人柄の暖かさこそが何よりの魅力だった。 【写真】逮捕され東京地検の玄関から東京拘置所へ向かう田中角栄=昭和51年7月27日(2枚目) 「頭が切れるだけでなく、優しさや愛嬌、行動力も持ち合わせていた」 堀田さんの部下として、ロッキード事件の公判を担当した元名古屋高検検事長の高野利雄さん(81)は振り返る。 被告のアリバイに関わる補充捜査の成果がすぐ出なくても、表情を変えず報告を見守る姿は理想の上司そのものだった。 同事件のさなかには胃を手術。術後、特捜部長の吉永祐介さんから「大丈夫か」と問われると「これで部長からいくら叱られても大丈夫です」とユーモアで返した。 「進むべき道を示してくれる灯台のような人だった。今はその光を失った気持ちだ」。高野さんはそう惜しむ。 将来を嘱望されながら退官後は福祉家に。 同事件で堀田さんに仕えた元検事総長の松尾邦弘さん(82)は「広い視野で常に社会全体のことを考え、福祉事業を天職とした。あんな検察官はいない」と称えた。 回顧録を出すなど情報発信にも努め、偉ぶらずに晩年も後輩の相談にも乗ってきた堀田さん。 今年4月、高野さんに穏やかな表情で「君たちとロッキード事件をやった時が人生で一番輝いていた」と語り残したのが、最後の会食だった。(桑波田仰太、荒船清太)