原辰徳の「8」継承した仁志敏久はパンチ力あるリードオフマン 4年連続ゴールデン・グラブの名二塁手
創立90周年を迎えた巨人。巨人での出場試合が多い野手、投手を中心に記録にも記憶にも残る歴代の「偉人」を紹介します。第43回は仁志敏久。 【写真】巨人・桑田真澄661日ぶり復帰 マウンドに肘を付け祈りをささげる * * * 仁志敏久はパンチ力のあるリードオフマンで、二塁の名手だった。 1971年10月4日、茨城県生まれ。常総学院で3年連続夏の甲子園に出場し、1年時に準優勝。早大では4年の時に主将を務め、春のリーグ戦、早慶戦史上初のサヨナラ満塁本塁打を放った。日本生命に進み、アマチュアのエリート街道を経由して95年ドラフト2位(逆指名)で入団。原辰徳の「8」を継承した。 96年、シーズン途中から三塁を守り打率・270、7本塁打、24打点で、巨人野手では原以来15年ぶりの新人王を獲得。背番号に恥じない活躍を見せた。 97年に二塁転向。99年から02年まで4年連続でゴールデン・グラブ賞を受賞した。 99年6月25日の広島戦でサイクル安打を達成。00、01年は2年連続で全試合に出場し、01年は20本塁打に加えて20盗塁。翌02年は22盗塁を決めるが、成功率は失敗なしの100%だった。 04年は1番に座り、自己最多の28本塁打。シーズン20本塁打を3度マークした。 07年に横浜へ移籍。10年は米独立リーグに在籍し、同年引退。21~23年はDeNA2軍監督を務めた。
報知新聞社