まさかの診断「脳腫瘍」…獣神サンダー・ライガーが1996年に迎えた最大の危機【週刊プロレス】
プロレスラーとして30年以上も第一線で活躍してきた獣神サンダー・ライガーだが、長期欠場したのは1994年9月に負った足首骨折ぐらい。その時は約1年で復帰したが、それ以上にレスラー生命の危機に立たされたのは、1996年8月に診断された脳腫瘍。同年の「G1クライマックス」最終戦となった両国国技館で自らの口から手術に踏み切ることを発表すると、館内はしんみりしたムードに。2020年1月に引退した時にもなかった空気に包まれていた(聞き手・橋爪哲也)。 【蔵出し写真】今とは全然マスクが違う! 1989年の獣神ライガー
――脳腫瘍と診断されたけど、東京女子医大にセカンドオピニオンを求めた感じですね。 ライガー それで東京女子医大に行ってMRIを撮ったら「確かに影があるね」って言われて、これでもう終わりだなって思ったよ。そしたらドクターが「じゃあ、ガンマナイフっていう治療法があるから、それやろうか?」って。それは開頭することなく、レーザーを照射して腫瘍を焼くっていう治療法で。それでちょっと安心して。でも、こっちとしては少しでも早く治療したいから、「(手術は)いつになりますか? 1週間後ですか? 10日後ですか?」って尋ねたら、「ウーン、今のところ予定が詰まってるから3カ月後にしようか」って。前の病院では明日にでも手術しないといけないっていう感じで言われて引退の覚悟までしてたから、「はあ?」って感じで。 ――それで両国(同年8月6日)で試合後に欠場のあいさつをされましたよね。 ライガー あれは、最初の病院で言われたことをそのまんま言ったの。そしたら会場はざわざわして。最後に「必ずリングに帰ってきます」って言って、ようやく「頑張れよ!」っていう感じになった。無事にあいさつを終えたら、あとは野となれ山となれですよ。 ――で、翌月の横浜アリーナで復帰戦(同年9月23日)。相手はワイルド・ペガサス(クリス・ベンワー)で、しかも勝利してますから、「あのあいさつはなんだったんだ?」って思いましたよ。 ライガー せっかく復帰したのに、周りからブーブー言われて(笑)。まあ、今だから笑って話せるけどね。でもそう考えたら、大きなケガっていうのは足首骨折ぐらいだね。 ――新日本ジュニアでは1990年代、頭から落とす技をよく出してました。それで決まらなければ雪崩式で。よくケガしなかったですね? ライガー いま考えたら危ないことやってたよねえ……。それはもう、引退の時にも言ったけど、丈夫に産んでくれた母親に感謝だよ。ケイ椎も脊椎も、MRI撮っても異常はないって。医者にも「何年、レスラーやられましたか? これは奇跡ですよ」って言われたよ。 ――長年レスラーをやってるとヒザや腰、首など、どこかに後遺症が残ってるもんですけどね。ほんとにケガで引退じゃなくてよかったですね。 ライガー 引退してもこうして契約を結んでもらってね。プロスポーツ界では野球のように、もう契約しないってなるとそれで終わりってなるわけだけど、いま新日本プロレスは僕みたいに引退後も面倒を見るシステムを構築しようとしてるわけで。そこはすごく助かってます。でも、もうすぐ還暦だからねえ。年金受け取れるのって65歳からだっけ? 5年契約してくれないかなあ……。 ――でも、引退してからも元気というか、楽しそうで安心しました。 ライガー まあ、充実した生活を送れてるからね。今の新日本プロレスもすごく楽しんでるし。とにかく僕から今の選手たちに言えることは、「ケガだけはするな」ってこと。それと、いまプロレスを応援してくれてるファンの皆様に、「最近の新日本プロレスはつまんねえな」っていう言葉は絶対吐かしちゃダメ。「新日本プロレスとは?」「ストロングスタイルとは?」って個人個人いろいろ考えはあるだろうけど、「闘いだよ」「怒りだよ」っていうのは覚えておいてほしい。(おわり)
週刊プロレス編集部
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