もはや〝絵に描いた餅〟ではない日本映画の海外展開 着々と進む国際合作:総まくり2024年
存在感示した若手クリエーター
しかし、このように制度やシステムが整備されても、やはり鍵となるのはその未来を築くことができる若手クリエーターが存在しているかどうかであろう。これと関連して、釜山国際映画祭と東京国際映画祭という北東アジア最大の国際映画祭が開催された10月、2週間おきに公開された2本の映画が非常に興味深い事例となった。 まずは、日本とアメリカを拠点に活動している空音央監督が、ドキュメンタリー映画「Ryuichi Sakamoto|Opus」の後に発表した劇映画「HAPPYEND」(10月4日公開)である。日米合作のこの映画の製作には、日本だけでなくさまざまな国で活動しているプロデューサー陣が参加し、音楽や撮影もニューヨークを拠点に活動しているクリエーターたちが担当した。 ただしスタッフ陣の多様な面々に劣らず注目すべきなのは、近未来の統制社会を背景に、「学校」を権力の専横や差別がまん延する場である半面、それに対する抵抗の過程で新しい形態の連帯の可能性が生まれる「公共圏(Öffentlichkeit)」でもあると描き出していること。そうした野心的なメッセージにふさわしく、同作はベネチア国際映画祭とトロント国際映画祭、ニューヨーク映画祭などで高く評価され、釜山でも歓呼で迎えられた。筆者としては、これをパイロット版として映像配信シリーズに展開する可能性も感じた。 次は筆者がシニアプロデューサーを務めた高崎映画祭が発掘した(新進監督グランプリ「赤い雪 Red Snow」)、女性監督の甲斐さやかによる日仏合作映画「徒花 ADABANA」(10月18日公開)。日仏合作は他の国と比べて事例が多い方だが、同作が特別なのはその詩的な映像だけでなく、奇抜な想像力で観客の好奇心を刺激する興行の要素を持っていることだ。 ウイルスのまん延によって人口が激減する中、上流階級の人間に延命治療の道具としてクローンの所持が許される近未来の社会で、主人公は自分と全く同じ外見ながらはるかに純粋で知的なクローンを、命を持続させるために犠牲にしなければならないという倫理的ジレンマに直面する。現代には存在しない他者的存在を実存に対する悩みのきっかけとして登場させ、その関係性を通じて今日の現実まで省察させる点は、どこかコゴナダの「アフターㆍヤン」のような感性も感じられる。こうした作品こそ、日本とフランス以外のグローバル配給に力を入れるべきではなかったか。