死者ゼロ、人口ゼロー東日本大震災“奇跡”の過疎地で起きていること
宮城県石巻市牡鹿半島。リアス式海岸特有の小さな浜が断続的に続くこの地域は、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた。一度は居住が不可能になった地区もあり、大谷川浜(おおやがわはま)地区はその一つ。地区内26戸すべての住宅が全壊し、2011年3月から一年間、地区内の住民は一度ゼロになった。あれから5年。人口ゼロの浜に誰か住んでいるのか? “奇跡”の過疎地のいまを追った。
「大谷川って集落が全滅したことには変わりはねえのよ」
石巻市大谷川浜の行政区長、阿部政悦さん(56)は、大谷川浜集落を「全滅した」と表現する。大谷川浜は牡鹿半島北部、鮫浦湾の一番奥にあたる浜。東日本大震災の津波によって26世帯すべての住戸が全壊。港湾施設、農地、公共施設、道路のすべてが破壊され、地区内に住むことは不可能になった。 すべての住戸が壊滅し、全住民が避難生活を強いられた。その状況を鑑みた震災直後の報道では、「集落解散か」と報じられたこともあった。その当時の新聞記事を引き合いに出すと、阿部さんは「私たちは誰も解散とは言ってない」と苦笑する。 「震災当時の避難所は、高齢の方には厳しい環境だったし、各自、身寄りを頼れる人は頼りましょう、避難所は解散しましょう、という話になった。そのとき、頻繁に顔も合わせられなくなるのだから、(集落のお祭りや消防団のための)積立金は、部落を維持する最低限を残してみなさんに返しましょうと。部落そのものを解散する、ということはだれも言っていない。」
人口が戻ってくる
すべての住戸が流されたのだから、地区を離れる決断をする住民も多かった。実際、集落にほど近い仮設住宅に当初入居した家族は5世帯。そのほかの家族は、親類や、石巻市街・仙台市街などのアパートに身を寄せた人が多かった。 一旦避難所を離れた人でも、集落に戻ってくる決断をする人もいる。今年度中に完成する浜の高台の住宅地には、9世帯が入居する予定だ。しかし、現在、高台住宅地以外に病院も、学校も、コンビニもない場所に住み続ける理由は何があるのだろう。 「住宅を再建するといっても、人から土地を借りてまで家を建てるのは、金銭的にも難しい。大谷川で住宅を再建するならば、自分の土地を使って建てることはできる」。 大谷川浜の宅地はすべて壊滅しているので、行政が造成する高台に集団移転することになっている(石巻市復興整備事業 半島部防災集団移転促進事業)。大谷川浜に土地を持っていた住民は、高台を代替地として、住宅を再建することができる。 自宅が流された被災者にとって、土地代・住宅の再建代の負担はあまりに重い。牡鹿半島にある会社に勤める阿部さんのように、震災前後で仕事を継続することができれば、同じ集落に住む方が合理的だというわけだ。阿部さんの他に、ホタテ養殖業やホヤ養殖業を営む世帯も、現在は石巻市街から浜に通勤しているものの、高台移転が完了し、住宅が再建されれば、大谷川浜に戻ってくるという。