死者ゼロ、人口ゼロー東日本大震災“奇跡”の過疎地で起きていること
「特に不便というものはない」
行政による高台移転を待たずに、保有する土地に独自に住宅を再建した人もいる。木村冨士男さん(78)は2013年、大谷川地区内の人口ゼロ状態を解消した。大谷川浜を一望できる場所に立つ家は、番地がなくても訪ねることができる。周囲には他の住宅が存在しないからだ。 現在、木村さんは、妻の梅子さんと二人暮らし。「3カ月くらいアパートなんかにいるうちに、自分の生まれ育ったところが、どのように復興するのか見てみたい、と思うようになった」という。 1軒だけの再建で不便はないかと尋ねると、「買い物は車で行くし、震災前から移動距離は変わらない。特に不便というものはない。ご近所が遠いので、少し寂しいところはあるが、かえって遠くからお茶を飲みに来てくれるのが嬉しい。」とのこと。 再建した自宅のまわりには、ぐるりと畑がつくられている。畑の世話は、妻・梅子さんの役割だ。「畑はねえ、ブロッコリーだの、キャベツだの、だいこんだの、いろいろね。うちはぜんぶね、野菜はね、ほとんど買わないの。」 大谷川浜は半農半漁の地区。集落には漁港も水田もあり、ホタテやひじきなどの海の幸と、米や山菜といった山の幸とが両方味わえる場所だった。大谷川浜の漁港はいまだ再建中(平成23年災谷川漁港海岸保全施設災害復旧工事、発注者石巻市)。最終的な海岸線の復旧は、宮城県道41号線の完成と、防潮堤の建設とを待たねばならない。水田も、来年度以降の造成・復旧になる予定だ。 すでに大谷川浜の沖合ではホタテが養殖されており、再建1号の木村家の前ではブロッコリーもキャベツも採れる。水田の復旧に向けて、大谷川浜で生産組合を結成する準備も進めているとのことだ。
「いや、不安は特にないですね。」
高台移転を希望する大谷川浜地区には、就学前の子どもがいるのは二世帯。渥美英俊さん(29)は二児の父で、子どもと両親、妹の合わせて7人で仮設住宅で暮らしている。家族で経営するホタテ養殖業に従事している。 「震災前と同じように、現在もホタテは大谷川浜沖で養殖しています。震災の年はすぐに養殖はできず、その翌年も風評被害によって震災前の50%にも満たない売り上げでしたが、現在は震災前と同程度に回復しています。」 ホタテ養殖業は、季節によっては昼夜を問わない作業が続く。「きつい時もあるが、サラリーマンより年収はいいので、迷いはなかった」。石巻市内の大学を卒業後、まもなく漁師を継いだという。 大谷川浜の海岸は整備中で船を出港することができない。漁師は、隣の谷川漁港から出港している。ただし、震災前後で漁に関して変わったことはそれくらいだ。過疎の高台住宅での子育てに不安はないのかと尋ねると「別にないですね」と返ってきた。 「食材は震災前から生協の宅配とか使っていたし、大きな買い物は頻繁に行くわけではないから。仕事場は震災前と変わらず海なので、特に生活に不安はないです」。「地区の中には子どもは少ないですが、小学校には行くことになるので、そこで友達もできると思います」。 渥美さん世帯の移転は、他の住民にとって希望だ。記事冒頭の阿部さんも木村さんも、地区に子どもの声がある(予定である)ことを喜ばしく思っている。 高台移転で再建する家族のうち、最高齢は80代、最年少は1歳になる予定だ。幅広い世代が揃い、生業も漁業から会社員、年金暮らしまでさまざまだ。高台の住宅は、まだ完成を迎えていないが、それでも集落の消防団やお祭りは健在。阿部さんや渥美さんもメンバーとしてすでに活動している。