災害列島日本で生き延びるための、“やどかりプラン”とは…!?
「やどかりプラン」とは、東日本大震災の後、名古屋大学名誉教授・歴史地理学者の溝口常俊氏が、現在も熱心に提唱し続けている防災案だ。2011年3月11日、地震に続いて起こった津波による壊滅的な被害。家屋を含め何もかもが跡形もなく流された光景に私たちは絶句した。それでも溝口氏の目には、「完璧に残っているじゃないか」と映ったものがある。それは各家の土台だ。点々と並ぶ、地上から50cmほどの高さのコンクリートの枠組み。「この下に寝転べば、助かる」。直感的に確信した。それが溝口氏の「やどかりプラン」の原点だ。「半地下シェルターを各家に完備して、命だけは助かろう」。まさに、現行の対策案である「高台に逃げる、居住地は高台に」という基本方針とは180度逆転した発想。非現実的な印象は拭えないながらも「やどかりプラン」という響きにも興味をひかれ、防災の日を機に話を聞いた。 ■減災研究の最先端を担うため、積極的に被災地を巡検 歴史地理学者として日本や南アジアでのフィールドワーク(現地調査)に長年取り組んできた溝口氏。2011年4月からは名古屋大学環境学研究科の研究科長に。今年5月に一般客への公開も開始した「減災連携研究センター」の設立にも協力した。3.11直後というまさに「国難の時」の就任。東海エリアも甚大な被害を免れないであろう南海トラフ巨大地震の到来が懸念される中、研究科長としてできることは何か。まず重視したのが被災地における現地観察だ。研究科教員120名余に被災地視察を呼びかけ、翌年2012年度には大学院生も積極的に現地へ派遣。そんな中、自らも被災地を歩いて回り、思い付いたのが「やどかりプラン」だった。「津波から身を守るには、地下(室)へ潜ればいい。やどかりだって、波が来るとその前に素早く砂浜に潜って身を守るではないか」。まさに、「やどかり=宿借り」プラン。いったいどんな防災案なのか。 ■家は流されても命だけは助かるための、最後の逃げ場所とは? 溝口氏が語ってくれた「やどかりプラン」。要約すればこうだ。 「『水が恐くて高台へ逃げる』。その発想を当然として、これまでずっと津波対策がなされてきた。地震が発生しても、津波が到達するまでに十数分は余裕がある。だから確かに、その間に高い場所へ逃げられれば助かる。でも助からない人もいる。犠牲者の多くは高齢者だ。東日本大震災の場合もそうだった。」 東日本大震災から一年後の2012年3月11日までに警察庁が確認した死者は1万1108人。そのうち65.2%が60歳以上の高齢者である。死因は、全体の92.5%が「津波による溺死」。 「なぜ津波による犠牲者がこれほど多かったのか?東北地方は過去に幾度となく地震や津波の被害を受けている。1896年の明治三陸地震津波では約2万2000人、1933年の昭和三陸地震津波では3064人の犠牲者が出た。過去100年ほどの間にも大規模な津波が三度。ゆえに普段から頻繁に避難訓練をしていた。それでも大勢が津波の襲来を見てから、つまり手遅れになってから慌てて逃げ出した。とりわけ高齢者は自宅にいる率が高い。避難勧告が出ても、思うように体を動かせない人もいた。また、家族や大切な人を、助けに戻って逃げ遅れた人も多い。だから犠牲者が多数出た。これを防ぐには、津波が見えてから逃げたとしても助かる距離に、避難場所の設置が必要だ。とくに東北の農山村、三陸地帯に高齢者の1人世帯、2人世帯のなんと多いことか。ますます進む高齢化社会において、体が十分に動かない高齢者が這ってでも1分以内に逃げ込める場所を確保すべきだ。だったらどうすればよいのか…?」。 つまり「高台」へ逃げ遅れた人が、助かるための方法だ。 「逃げ場所は、家の中がいい。各家庭内に逃げ込めるシェルターがあると一番いい。津波の被災地の写真を見ると、どの地区でも高さ50cmほどの家屋の土台は残っている。そこを入口(屋根)とした地下室を設置すればいい。地上50cm、地下1m、つまり高さ1m50cmほどの半地下シェルター(日本流に言えば竪穴式住居だ)。広さはトイレくらいでいい。(柱の多いトイレは家の中ではとりわけ頑丈な空間ゆえ、トイレスペースに設置してもいいだろう。)2~3人は座って入れる。家の中であれば、100m先の津波を見てからでも、十秒くらいあれば入れる。お年寄りでも簡単に開けて中から閉められて、かつ水圧にも耐えられるようなカプセル。明かりや酸素、連絡方法も確保する。波が去るまで、瓦礫が撤去されるまで、安全に一時しのぎできる空間。最先端の技術や知恵を出し合って、全力で取り組めばできないことはないはずだ」。 「やどかりシェルター」に身を潜めている間に、家は全部流されて、なくなるかもしれない。でも、命だけは助かる。そういうプランだ。 ■目指すべきは「やどかりプラン」をベースとした「多重防御都市構造」 被災地を回りながら、「やどかりプラン」を提案することもある。津波の危険と隣り合わせの人々だ。「津波が来たときに低所へだと!?恐ろしくて地下になど入れるわけがない」という意見もある。 「高所へ逃げるべき、という鉄則を否定するわけではない。できるなら、高い場所へ逃げるのが第一。ただそれだけでは多数の犠牲者が出るので、避難方法のバイパス、最後の手段を用意しては、ということ」。 溝口氏の狙いであるという「多重防御都市構造」とは以下のようなものだ。 堤防や高層建築を決してすべて否定するものではない。とくに病院、学校、役場などの公的施設は高台にあるべきだ。ただ三陸地域は山麓に住宅適地が少なく、むやみな宅地開発、高台移転は避けたほうがよい。巨額の資金がかかるうえ、土砂災害などの危険性も高いからだ。漁業に携わる人々は、やはり海の見える海岸部に住みたいだろう。巨大堤防は莫大な費用と時間を要するうえ、確実に安全とは言えない。海と暮らしが分断されることを望まない住民も多い。平地に避難所も兼ねた安全な4階建て以上のビルを建てることも必要だが、むやみに建造せず、バランスよく配置する。 「もっとも被害が大きかった地のひとつ、岩手県の大船渡で聞き取りを行ったところ、2時間ほどで津波が引いたという。2~3時間地下で我慢すれば、8割方、脱出できるわけだ。瓦礫で埋まってしまう可能性もあるだろうが、半地下シェルターのある場所を地域で把握しておくようにすれば、捜索場所もピンポイントで特定しやすくなる」。 景観地理学者としての顔も持つ溝口氏。「あの美しい三陸の海を、巨大堤防で遮られてたまるか」という思いもある。 ■絶対安全で快適な“シェルター居住空間”は果たして実現可能か…? 建築学者など減災研究を担う専門家たちからも批判的な意見が多い。 「やむをえない部分もある。建築の専門家たちの仕事は家を建てること。頑丈な家を作って町全体を守りたいというのがつねにベースにある。『家は壊れてもやむをえないのでは』という『やどかりプラン』のような発想は受け入れてもらえない。それでも私としては、恐怖心を取り除くような頑丈で快適なシェルター居住空間を、彼らの専門性をいかしてぜひ提案してもらいたいと思う」。 町がやられて家が流されても、とにかく命だけは助かるように。そのためには発想の転換がどうしても必要なのだ。津波に何もかもをもっていかれてしまった三陸沖の壊滅的な惨状を見た日から、溝口氏の主張が変わることはない。 ■高知では、国内初の津波避難シェルターの建設を決定 地下シェルターといえば、アメリカのトルネードやハリケーンに備えるもの、スイスなどの核シェルターが知られているが、日本では「シェルター」自体、なじみが薄い。そんな中、南海トラフ巨大地震による大きな被害が予想される高知県の室戸市では、佐喜浜町都呂地区の崖地に津波シェルターが建設されることが決定した。崖地に横穴式のトンネルとらせん階段をそなえた立て坑で構成され、100人ほどが入れる。2014年度中に建設をスタートし、2年かけて完成予定だという。都道府県による津波避難シェルター整備は全国初。海岸沿いの急峻な地形に住宅が密集しているこの地区。治山事業で整備した擁壁が多く存在するために、既存の避難版場所の拡充が難しいとされていた。65歳以上が住民の4割に達し、体力的に少ない負担で避難できる場所が必要だという判断によるものだ。 溝口氏は言う。 「防災対策は、まずは土地ごとの特徴をしっかり把握することが必須。土砂災害や台風にも、やどかり半地下シェルターは応用が利くのでは。津波の恐れのない地域での直下型地震対策ならば、建物すべてを耐震補強できない場合でも、家の中の一部屋だけでもM9レベルの地震に耐えうるようにすべきだ。揺れたらすぐにそこへ逃げ込めば、助かる可能性が高い。これも“やどかりプラン”と言っていい」。 ■真の防災対策のために。「やどかりプラン」が問いかけるもの 日本にも地下シェルターや津波対策用の避難カプセルを販売する会社は存在する。各自が自分の住む環境をよく知り、安全性に納得したうえで選ぶ。選択肢のひとつとして「シェルター」がより一般的になるのは、確かに前向きなことに感じられる。 「その考え方は、実は危険なのだ」と溝口氏は断言する。自分の意志で安全を確保しよう、という姿勢は正しい。しかし災害対策を勧めたとしても、「海とともに生きてきた。津波が来たら一緒に死んでもいい」いう漁師や、「この歳まで生き延びてきたんだから死ぬもんか」と突っぱねる高齢者も出てくる。ただ、災害というのは、各人の意志を超えるものだ。 避難訓練をして、避難場所をきちんと確保して、そこへ的確に逃げましょう、と呼びかけるのはもちろん正しい。そうあるべきだし、東日本大震災の時もそれを守った人は助かっている。たいがいの防災対策の結論も、それだ。でも逃げたくても体の自由がきかない人、避難勧告が出ても「自分は大丈夫」と逃げない頑固者、人助けのために逃げ遅れる人もいる。実際、犠牲者の多くはそういう人たちだ。「これだけ言っていたのになぜ、逃げなかったのか」と、自業自得で片づけてしまっていいのか。そんな人たちでも、100m先に津波を見て慌てたときに、「あそこだったら入れるかもしれない。ためしに逃げてみようか」ととっさに入れる場所が各家にあったなら、どれだけの命が助かるだろう。だから強制的にでも逃げ場所のシェルターを作っておく必要があるのだ。助かった人の行動をお手本として防災対策を進めることは、そこに大きな落とし穴があることを知っておくべきだ。犠牲者の声は聞くことができない。だから、防災対策というのはとても難しい。