西田敏行さん、10月17日死去 “同期”岸部一徳、悼む「芸能界、映画界…大きなものが失われた」
【激動2024芸能・社会(9) 24年著名人レクイエム(下)】芝居に歌に司会業にと幅広く活躍した俳優の西田敏行さんが虚血性心疾患のため76年の生涯を閉じたのは10月17日だった。最後の出演映画となった「劇場版ドクターX」でも共演し、テレビシリーズからの12年間を両輪として支え続けた岸部一徳(77)は「芸能界、映画界ひっくるめて、大きいものが失われた感じがします。ただただ残念」と盟友の死を悼んだ。(佐藤 雅昭) 「池中玄太80キロ」を挙げる人がいれば、「もしもピアノが弾けたなら」を口ずさみながら、映画「釣りバカ日誌」シリーズをプッシュする人がいる。代表作に事欠かない西田さんがTBSドラマ「渥美清の泣いてたまるか」で一歩を踏み出したのは1967年。この年、岸部も「ザ・タイガース」のメンバーとして華々しくデビューを飾っている。 スタート地点は違っても、2人は同期生。タイガース解散後の75年に俳優に転じた岸部は「僕は途中からですから、大先輩のように思っていました。ドラマや映画をやり出した頃、西田さんはもう全て主役でやってましたしね。ご一緒したのは『港町純情シネマ』(80年)というTBSの連ドラが最初でした」と振り返る。 釣りバカシリーズが終わると耳にした時には「最後だったら出たい」と手を挙げ、それが09年公開の「釣りバカ日誌20 ファイナル」出演に結実。その他にも井筒和幸監督の「ゲロッパ!」(03年)や北野武監督の「アウトレイジ 最終章」(17年)などで共演を重ねた。 「僕は俳優にとってこういうことはしておいた方がいいだろう、ということを何もしないで入ってきたので、できる範囲は自然狭くなりますが、西田さんは僕のことを“自分にはないものを持っている”“一徳ちゃんはそれでいいと思う”と言ってくれたりしましたけどね」 劇場版が公開中の「ドクターX」では放送開始から10年以上の付き合いだ。岸部はフリーランスの天才外科医・大門未知子(米倉涼子)の師匠・神原晶を演じ、東帝大学病院の元病院長(現会長)が西田さん。メロンを手土産に高額の請求書を突きつける院長室のやりとりは見どころの一つだった。「敵役の側に回って、こわもて一辺倒だけでなく、ちょっとユーモアを入れてきたりと変幻自在。そうやってドラマ作りを楽しんでいましたよ」 プライベートでも交流があり、時々はカラオケにも行った。「歌がうまいだけでなく、北島三郎さんの歌をシャンソン風にアレンジして歌ったり、よくそんなことできるなと感心するほど。店に他のお客さんがいるじゃないですか。その人の名前を入れて即興で歌ったりしてましたね。その場その場を楽しむ人でした」 亡くなる1週間ほど前に勝村政信(61)と3人で食事をした。「少しお酒も飲んで“こんなことやるんだ”“あんなことやるんだ”っていう話をいっぱいしてくれました。元気だった。もっともっと面白いことをやりたかったんだろうなあ」と悔しそうな表情を見せた。=この項終わり= 大山のぶ代さん(90)9月29日死去(声優) 79年から26年間、アニメ「ドラえもん」の声を担当。原作者の藤子・F・不二雄さんに「ドラえもんって、こういう声だったんですね」と言われるほどのハマり役に。06年には自伝「ぼく、ドラえもんでした。」を出版。 山藤章二さん(87)9月30日死去(イラストレーター) 政治と社会を風刺した時事漫画「山藤章二のブラック・アングル」を76年から週刊朝日で最終ページに連載。「週刊朝日を後ろから開かせる男」と呼ばれた。色眼鏡に顎ひげがトレードマーク。04年に紫綬褒章を受章。 火野正平さん(75)11月14日死去(俳優、歌手) ドラマ「新・必殺仕置人」や映画「ラストマイル」に出演。多くの女優と浮名を流し「火野正平」がプレーボーイの代名詞として浸透。11年から13年間出演を続けた旅番組では地元の人たちと交流する姿が人気を集めた。 中山美穂さん(54)12月6日死去(女優、歌手) 85年、日本レコード大賞最優秀新人賞を史上最年少の15歳で受賞。87年の主演ドラマ「ママはアイドル!」がきっかけで「ミポリン」の愛称が定着。ヒット曲に「世界中の誰よりきっと」や「ただ泣きたくなるの」など。 小倉智昭さん(77)12月9日死去(アナウンサー) 99年から「とくダネ!」の総合司会を22年間担当。冒頭に自らフリートークし、物言うキャスターとして活躍した。収集家としても有名で、コレクションはミニチュア楽器やドールハウスなど計5万点以上に及んだ。 渡辺恒雄さん(98)12月19日死去(読売新聞グループ本社代表取締役主筆) 50年に読売新聞社に入社し政治部でエース記者に。政界にも影響を与えた。96年から巨人のオーナーを務め、逆指名制度導入やFA制導入を推進。16年から代表取締役主筆。