「8歳のときに負った傷がずっとこの運動につながっている」被爆者・木村緋紗子さんが見届けたノーベル平和賞授賞式 核廃絶運動の原点は家族ら8人を失った『心の傷』
東北放送
長年、核兵器廃絶に向けた運動を続けてきた日本被団協、日本原水爆被害者団体協議会が10日、ノルウェーの首都・オスロでノーベル平和賞を受賞しました。被団協の代表理事で仙台在住の被爆者・木村緋紗子さんも授賞式に参加し、日本からは50年ぶりとなる歴史的な瞬間を見届けました。 【写真を見る】「8歳のときに負った傷がずっとこの運動につながっている」被爆者・木村緋紗子さんが見届けたノーベル平和賞授賞式 核廃絶運動の原点は家族ら8人を失った『心の傷』 ■授賞式の朝、木村さんは… 被団協代表理事 木村緋紗子さん: 「良いでしょう!おかしい?ちゃんと着物のようになっているでしょ」 授賞式当日の朝。木村さんはずっと迷っていた授賞式の衣装を決めました。そのあとの晩さん会では衣装を着替えることにしました。 被団協代表理事 木村緋紗子さん: 「これ表彰式。食事のときにこれを着ます。女ってこういうのが楽しみなんですよね!本当に」 授賞式で、木村さんが一番楽しみにしていることを聞いてみると。 被団協代表理事 木村緋紗子さん: 「きょうですか。何が楽しみって、表彰状をもらうのが楽しみじゃないですか。それしかないでしょう。自分がもらえないからね。もしもらえるなら仙台に持って帰って!どうしよう」 ■8歳の時に負った「心の傷」それが運動の原点 終戦翌年に撮影された広島市の映像です。 木村さんの人生が変わったのは、1945年8月6日のこと。アメリカ軍が広島市に原爆を投下、その3日後には長崎市にも原爆を投下しました。木村さんは父や祖父ら家族と親族あわせて8人を亡くしました。 被団協代表理事 木村緋紗子さん(2021年取材): 「私の心は傷つけられた。8歳のときに負った傷がずっと、この運動につながっている」 木村さん自らが描いた熱線で焼かれた祖父の絵です。 3年前には、広島市の高校生が木村さんに話を聞きながら祖父を看病する絵を新たに作成しました。若い世代とも交流しながら核兵器廃絶に向けた運動を続けてきました。 授賞式前に、木村さんが持つパネルには、亡くなった「先人たち」の顔が。 被団協代表理事 木村緋紗子さん: 「この人は私について運転をしてくれた人。30年くらい。この人は被団協の前事務局長。この人たちも私と一緒に一生懸命やった人。核兵器廃絶、戦争はしないでということを引き継いできた。先人たちの思いを絶対に忘れないで、授賞式に臨む」
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