「ヒゲを生やした洋装の明治天皇」に込められた、明治政府の「驚くべき計画」
神武天皇、教育勅語、万世一系、八紘一宇……。私たち日本人は、「戦前の日本」を知る上で重要なこれらの言葉を、どこまで理解できているでしょうか? 【写真】「ヒゲを生やした洋装の明治天皇」に込められた、明治新政府の驚くべき計画 右派は「美しい国」だと誇り、左派は「暗黒の時代」として恐れる。さまざまな見方がされる「戦前日本」の本当の姿を理解することは、日本人に必須の教養と言えます。 歴史研究者・辻田真佐憲氏が、「戦前とは何だったのか?」をわかりやすく解説します。 ※本記事は辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書、2023年)から抜粋・編集したものです。
洋服採用でも「神武創業」
伝統と言いながら、新しいものを押し付けてくる。このような神武天皇マジックは、1871(明治4)年9月の「服制改革の詔(みことのり)」でもさっそく使われた。 明治天皇が洋服の採用を事実上呼びかけたものだが、その理由づけに神武天皇が出てくる。 今衣冠の制、中古唐制に模倣せしより流て軟弱の風をなす。朕太(ちんはなはだ)之を慨(なげ)く。夫(そ)れ神州の武を以て治むるや固(もと)より久し。天子親(みずか)ら之が元帥と為り、衆庶以て其風を仰ぐ。神武創業、神功(じんぐう)征韓の如き、決て今日の風姿にあらず。(中略)朕今断然其服制を更(あらた)め、其風俗を一新し、祖宗以来尚武の国体を立んと欲す。 たかが服というなかれ。服制は民族の自尊心ともつながり、意外とやっかいだ。たんに「洋服にせよ」というだけではしたがってくれないかもしれない。 事実、隣の大韓帝国では、1900(明治33)年に洋服が導入されたが、それには夷狄(いてき)の文化を受け入れるのかという強い反発があった。 そこで日本で打ち出されたのが、「神武創業、神功征韓の如き、決て今日の風姿にあらず」。つまり、日本は古くより武を重んじており、神武天皇や神功皇后の時代は決して今日のような姿ではなかった。 したがって、今日の服制は仮初(かりそめ)のものにすぎず、べつにこだわる必要はないという理屈である。