「ヒゲを生やした洋装の明治天皇」に込められた、明治政府の「驚くべき計画」
「明治天皇の写真」に込められた意図
神功(じんぐう)皇后とは、仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后で、軍隊を率いて朝鮮半島を攻めて新羅・百済・高句麗を屈服させた、武功あらたかな女性をいう(詳しくは第3章参照)。 神武天皇も、神功皇后も、伝説上の人物であって、その服制は正確にはわからない。そこで、武を重んじていたというところだけを引っ張ってきて、軟弱な現在の服制をあらためよという。 だったら、奈良時代あたりの服制にでもすればいいではないかと思うが、そうなっていないのがポイントだ。あくまで「武を重んじていた伝統に戻れ」。 だが、それの意味しているところは事実上ひとつだった。いま武で優れているところといえば、西洋しかないのだから。 その証拠に、1873(明治6)年には、髭をはやし、洋装した若き明治天皇の写真が撮影・公表された。 正面からヨーロッパ化しようと言えば、反発を招きかねない。だが、武を重んじていた神武創業に帰るといえば、たとえ洋服の採用でも伝統に則っている気がしてくる。このようなトリックで、ひとびとのプライドをできるだけ傷つけず、すみやかに西洋化を図ったのである。 さらに連載記事<戦前の日本は「美しい国」か、それとも「暗黒の時代」か…日本人が意外と知らない「敗戦前の日本」の「ほんとうの真実」>では「戦前の日本」の知られざる真実をわかりやすく解説しています。ぜひご覧ください。
辻田 真佐憲(文筆家・近現代史研究者)