「ビシエドのバットを折った医者は一人もいない」国内初! 医師免許を持つプロ野球選手が描く将来の夢
吉報を知ったのは、選手の汗が染み込むロッカールームだった。今季からプロ野球NPBの二軍戦に参入した「くふうハヤテベンチャーズ静岡」(以下、くふうハヤテ)の開幕戦は3月15日。オリックス戦の5回から登板した竹内奎人(けいと)(24)が第1球を投じた1分後の午後2時が、医師国家試験の合格発表の時刻だった。 【まさに"スーパードクターK"】医師免許を持つ日本初のプロ野球選手 竹内奎人の「素顔写真」 「投げ終えてロッカールームに戻って携帯を見たら、親から(合格の)連絡が入っていて……。ひと安心という感じでした」 医師免許を持つ日本で初めてのプロ野球選手の誕生だった。 週刊少年マガジンで’88年から10年以上連載された漫画『スーパードクターK』の主人公、西城KAZUYAは作中で選手生命の危機にあるスポーツ選手を神技ともいえる執刀技術で回復させている。整形外科医としての未来を希望する一方で剛腕投手として奪三振を重ねる竹内はまさに″リアルドクターK″だ。中学時代に15歳以下の侍ジャパンに選出。その後、県内一の進学校・県立静岡高校に進んだ。最上級生となると同学年の池谷蒼大(24、DeNA→現・くふうハヤテ)とダブルエースを形成。3年春の甲子園では根尾昂(24、現・中日)らを擁した大阪桐蔭とも対戦し、8-11で敗れると、「野球は高校で終わりにする」と明言し、周囲を驚かせた。 「中学2年生の頃、漠然と進路について考えたときに『仕事でも野球に携わりたい』と思ったんです。『最終的にサポートする立場にいきたい』と考えたときに当時、勉強もそこそこできたので『じゃあ、医者として野球に携わろう』と」 医学部を目指し、高校3年間は野球と受験勉強の二刀流で過ごした。練習後の深夜0時から机に向かい、平均5時間の睡眠時間で猛勉強の末、現役で群馬大学医学部に合格すると再び野球への気持ちが湧き上がり、医学部生で構成される準硬式野球部に入部した。 「高校3年時にセンバツに出られましたが、自分は大会前にフォームを崩し、直球が一時、120㎞/h台まで落ちてしまった。甲子園でも『よくあの状態で投げられたな』というほど。もう一度野球をしようと思ったのは、当時の心残りがあったのかもしれません」 野球を再開したものの、練習中に肘を痛めて大学3年時に右肘を手術。ちょうどそのころ、竹内にとって大きな転機となる出来事があった。静岡高で切磋琢磨した池谷がドラフト会議でDeNAから指名されたのだ。 「野球をやっている人間が一番行きたい場所に、池谷が行けたことが純粋に嬉しくて。もう一回、一番上を目指してリハビリに励むきっかけになりました」 医学部は6年間あるので、リハビリが間に合った。球速が伸び、5年生のときに147㎞/hを計測。池谷と同じ舞台に立てるかも、という希望が湧いた。 大学最終年の昨年、くふうハヤテのトライアウトに合格。今春のキャンプ中は他の選手と同じ練習をこなし、2月の国家試験のために夕方から日付が変わる0時過ぎまで机に向かった。 「新しい道を作りたいと思って両方、頑張ってきました。学生時代の分岐点でスポーツと勉強を天秤にかける時は絶対に来る。その時どちらかを選ぶ人がほとんどだと思いますが、両方やればいい。自分が仮にNPBの12球団からドラフトで指名されれば注目されますし、『私にもできる』という子どもが一人でも増えてくれたら、挑戦にも意味が出てきます」 シーズン開幕後はおもに中継ぎとして13試合に登板(5月20日現在)。初先発した4月18日の中日戦では’18年首位打者のビシエドのバットをへし折り、中飛に打ち取った。将来は「選手に直接指導もできるチームドクター」として働くビジョンを描きつつ、今は全力投球する。医師と選手。唯一無二の存在として……。 「今まで、ビシエドのバットを折った医者は一人もいないと思います」 嬉しそうにニヤリと笑う自信に満ちた顔はアスリートそのものだった。 『FRIDAY』2024年5月24日号より 取材・文:栗山 司(スポーツライター)
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