ロールス・ロイスのマスコットを最初に車両に掲げた「モンタグ」とはどんな人物?「スピリット・オブ・エクスタシー」のモデルとの公言できない関係とは
モンタグが「ライト 20 H.P」を購入したことで、3人の友情はさらに強固なものに
1906年までにこの雑誌はすっかり定着し、モンタグは委託編集者、編集者、寄稿者として活躍した。彼は常に次のスクープを探しており、ロールズとジョンソンの親密な友情によって、ロールス・ロイスの最新製品、革新技術、競争上の成功について完全に把握していた。その一方ロールズとジョンソンにとっては、権威のある自動車雑誌と、モータースポーツに強い関心を持つ有力議員の両方から貴重な支援を受けていたのである。 この関係は、ボーリューの第2代モンタグ男爵となったモンタグが1906年にロールス・ロイス「ライト 20 H.P」を購入したことで、さらに強固なものとなった。ロールス・ロイスはこの国で最高の自動車を生産し続ける限り、彼の雑誌で肯定的な報道をすることを保証されたのだった。 1907年には、マンチェスターのクックストリートにある既存の工場では需要を満たすのに十分な規模でないことが明らかになった。そこでヘンリー・ロイスは、ダービーのナイチンゲールロードに新しい工場を建設することを計画、監督し、1908年7月9日にオープンした。
「世界最高の自動車である」という名声は『タイムズ』紙が起源
才能ある彫刻家兼イラストレーターのチャールズ・サイクス(以下:サイクス)によってマスコットが製作された1908年11月13日、『タイムズ』紙の広告にこう書かれていた。 「モンタグは、6気筒のロールス・ロイスが世界最高の自動車(the best car in the world)であると宣言した」 これは、現在でもロールス・ロイスの代名詞となっているこの呼び名が正しく使われた最古の例である。翌年の1910年、ジョンソンはロールス・ロイスのオーナーの間で、自動車のフロントにコミカルなマスコットを取り付けるという流行が起きていることに気づいた。
スピリット・オブ・エクスタシー以前にウィスパーと名付けられたマスコットが製作された
モンタグが所有したロールス・ロイスにも「ウィスパー」と名付けられたマスコットを装備していたが、流行しているマスコットとはまったく異なるもので、サイクスによって造形されたものだった。 そのマスコットはサイクスの長年のミューズであるエレノア・ソーントンをモデルにしたもので、流れるようなローブを着て唇に指を当てる若い女性が製作された。これに感銘を受けたジョンソンは、サイクスにマスコットのデザインを依頼し、それが今日では「スピリット・オブ・エクスタシー」として世界的に知られている。 モンタグは1929年に亡くなるまで、熱狂的なロールス・ロイスのオーナーであり続けた。彼は4半世紀にわたってロールス・ロイスの揺るぎない友人であり、数十年にわたってロールス・ロイスの名に輝きを与えてきた。1952年、彼の息子である3代目男爵エドワードは、彼に敬意を表してイギリスのハンプシャー州ボーリューに国立モーターミュージアムを設立している。
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