降り注ぐ噴石、いとこと叔父は目の前で消えた…「生き残って申し訳ない」御嶽山噴火10年、 父と心の傷に苦しんで 精一杯生きる、20歳の誓い
御嶽山噴火災害、心に深い傷が刻まれた親子の10年間
2014年9月の御嶽山噴火災害からきょう27日で10年。一緒に登った叔父といとこを亡くした神戸市の大学2年西嶋立希(たつき)さん(20)が初めて取材に応じた。苛烈な体験をした心には深い傷が刻まれ、ずっと苦しみながら、共に生き延びて同じ痛みを背負う父の背中を見てきた。二十歳を迎え、やっと前を向けるようになった。いとこの分も精いっぱい生きたい―と誓う。 【写真】噴火直前の山頂。いとことカップラーメンを食べる西嶋さん親子。15分後に悲劇が襲う
9月27日、仲の良かったいとこ家族と山頂へ
14年9月27日の昼前。小学4年だった立希さんは、父の直也さん(55)=兵庫県加東市、叔父の浩基さん=当時(40)、いとこの陸さん=同(10)=の4人で山頂の剣ケ峰(3067メートル)に立った。同い年の陸さんとは、小さい頃から仲が良かった。
午前11時52分噴火、暗闇の中降り注ぐ噴石
午前11時52分、灰色の噴煙が立ち上った。直也さんと近くの祈禱(きとう)所の壁際へ走った。少し遅れて浩基さんと陸さんが隣に身をかがめたが、壁に身を寄せられなかった。暗闇の中、噴石が降り注いだ。
「陸ちゃん」「たっちゃん」…いとこも叔父も、暗闇に消えた
「陸ちゃん」「たっちゃん」と必死で呼び合った。陸さんの声が消えた。視界が開けると、立希さんは腰まで火山灰に埋まっていた。陸さんと浩基さんは見つけられなかった。直也さんは祈禱所の窓を突き破り、生き残った登山者と入った。再び降り注いだ噴石が壁をたたきつけた。
締め付けられる心臓、止まらない涙
夕方、2人は岐阜県側の五の池小屋まで避難した。その夜、立希さんは就寝中に無意識に立ち上がり「わぁー」と大声で叫び続けた。下山後、いつも通り小学校に行ったが、涙が止まらなくなった。小さな地震などわずかな衝撃や音に敏感になり、その度に心臓がキュッと締め付けられた。中学でも授業で噴火の映像を見て保健室に駆け込んだ。
「生き残って申し訳ない…」
陸さんと浩基さんに対して「生き残って申し訳ない」という気持ちも募った。叔母と会う時には「陸ちゃんの代わりにはならないけれど、元気なところを見せてあげたい」と子ども心に気遣った。笑顔で明るく場を盛り上げようとした。内心では「心が張り裂けそう」だった。