降り注ぐ噴石、いとこと叔父は目の前で消えた…「生き残って申し訳ない」御嶽山噴火10年、 父と心の傷に苦しんで 精一杯生きる、20歳の誓い
救われたのは…父と2人だけで…
直也さんとだけは体験を分かち合えた。直也さんは「当時を思い出すことより、2人が忘れられる方がつらい」と、立希さんを自室に招き、噴火時のことを一緒に思い出したことがある。そうした時間に立希さんも救われてきた。
「人生に一つだけの後悔」苦しみ続けた父
直也さんは、浩基さんと陸さんを誘って御嶽山に向かった選択を「人生に一つだけの後悔」と苦しみ続けてきた。ぐっとこらえて、家族や浩基さんの親族に気遣いながら、経営する飲食関連会社の仕事に専念してきた。そんな姿を立希さんは間近で見てきた。
サッカーに打ち込んだ理由
小中高とサッカーを続けてきた立希さん。大学のサッカー部では、外部との調整役の主務を任されるまでになった。打ち込んできた理由の一つは「目の前のことだけに集中できる」からでもあった。
心の傷を振り払って前へ、20歳の誓い
今夏、長崎県の雲仙・普賢岳の麓で合宿があった。1991年、一帯は噴火に伴う大火砕流に襲われている。山を見上げると一瞬、10年前の情景がフラッシュバックした。 だが振り払った。「陸ちゃんが亡くなったのを理由に落ち込みたくない」との気持ちが勝った。冗談を言い合いながら山頂でカップラーメンを食べた時の笑顔が、胸の中に生き続けている。「陸ちゃんの分も頑張らなくちゃ」。そう自分に言い聞かせる。