パリ五輪女子マラソン欠場も前田穂南、沿道で応援…天満屋首脳陣の苦汁の決断経て、全員で前を向く【岡山】
8月11日に行われたパリオリンピックの女子マラソン。天満屋の前田穂南選手は直前に欠場が発表となりました。前田選手は現地で、応援団との懇親会に参加し心境を語りました。 (岸下恵介アナウンサー) 「前田選手は女子マラソンの競技終了後、こちらのホテルに姿を見せて応援団の人たちを前に苦しい胸の内を語りました」 女子マラソンを沿道で観戦したという前田穂南選手。約80人の応援団を前にあいさつしました。 (天満屋 前田穂南選手) 「本日はパリまで駆けつけてくださりありがとうございます。(涙を流し言葉に詰まる)練習はしっかりできていたが、最後足が痛くなってスタートラインに立つ事ができなかった」 (天満屋 武冨豊専任コーチ) 「本当にメダルを狙いに行くという気持ちで取り組んでいました。これからの選手生命のことを考えたら、ここは悔しいけども走らずにやめようという結論を出しました」 (天満屋 山口衛里監督) 「前田は走りたかったと思う。だけど(涙で言葉に詰まる)サポートに回る側としてはやはり止めざるを得ない」 前田選手は、前回の東京大会は33位。パリに向けて強い思いを持って練習に臨み、2024年1月の大阪国際女子マラソンで19年ぶりに日本記録を更新。2大会連続で代表の座をつかみ、メダル獲得の期待が高まっていました。 しかし、本番前に右大たい骨の疲労骨折の診断を受け、パリオリンピックは無念の欠場となりました。女子マラソン本番当日、パリの沿道には前田選手の欠場を残念に思うファンの姿もありました。 (応援に来た日本人は…) 「残念だったね。しょうがないもんね。あの子、大阪国際女子マラソンまで見に行ったの。あの日本記録の時。感激して、やっと来られるってなったのにちょっとかわいそう」 天満屋のチームメイトは、前田選手の応援バルーンを持って沿道に立ち、日本代表選手を応援しました。 パリオリンピックは終了しましたが、前田選手の周囲は次に向けてエールを送ります。 (元・天満屋陸上競技部 谷本観月さん) 「足大丈夫?と聞いたら、その時は痛いですと言っていた。前田が走り続ける限り私は応援したいと思う」 (前田選手の父・哲宏さん) 「もらい泣きするような感じではあったんですけど、まずしゃべり切ったことで今回の件に関しては一歩踏み出せたと思う。本当にきょうから次に向かって進んだのかなと思う」 高校時代の恩師、安田功さんは。 (大阪薫英女学院高校陸上部 安田功監督) 「もしこれで良い結果やったら引退しただろう。その分、目標がのびて記録もタイトルもまたチャンスが増える。次頑張るということで」 パリで結果を残し現役引退を考えていたという前田選手。復帰時期は未定ですが、この悔しさを胸に走り続ける覚悟を決めました。 (天満屋 前田穂南選手) 「たくさんの人から応援してもらっているので、また恩返しできる走りをしたいと思う。まずはしっかり早く足を治して、そこから次に準備して目標に向かって頑張っていきたいと思う」
岡山放送