父が語っていた 吉田沙保里の今後
■父と娘がもっとも深く結びついている場所 家族を亡くしたときは通夜、告別式、そして野辺送りをする。骨揚げや墓地で卒塔婆をたてて供養しながら生前の姿に思いをめぐらせ、少しずつ、その人がいない日常を受け入れてゆく。だが吉田沙保里は、急死した父、栄勝さんをしのぶ場所として、告別式が終わると同時に女子レスリング国別対抗戦(ワールドカップ)へ移動した。父と娘がもっとも深く結びついている場所が、レスリングマットの上だったからだろう。 これまで、父の栄勝さんに沙保里のレスリング"以外"についての話をきくと、故郷の青森なまりを強く残した口調で「俺と話しているのは、レスリングの話だけ」という返事が必ず返ってきた。「女房とは話をすると思うんだけれども、俺とはレスリングの大切なことしか話さないから。レスリングを一緒にやってる子は知ってるけど、誰が沙保里の友だちだか、わからんのよ(笑)」 ■最愛の父の死でも「欠場」は頭になかった 父との思い出は、いつもレスリングとともにある。亡くなった父をしのぶなら、レスリングマットの上がもっともふさわしい。葬儀の日程が決まってゆくなか、「欠場」の二文字はまったく頭に浮かばなかったという。 三重県津市での告別式から東京都板橋区の計量会場に吉田沙保里が姿をあらわすと、ワールドカップに出場する他国の選手やスタッフは驚きを隠せなかった。お悔やみの言葉を述べながら、多くのカメラに囲まれて計量にのぞむ沙保里の様子を、彼らのうちのひとりは、彼女が試合に集中できることを願うと付け加えながら、"Unbelievable is all I can say.(信じられないとしか言いようがない)"と漏らしていた。 父と娘のつながりが、日常も含めてレスリングマットの上に、もっとも濃くあるのだと知らなければ、「まだ、ちょっと何かあると涙が出ちゃう」ような状態でも試合に挑む彼女の決意と周囲の熱狂ぶりは理解しがたいだろう。