妻の葬式の日は友人と仕出しの料理を食べた。葬式翌日は娘に朝食を作り、ふたりでトーストとハムエッグを食べながら泣いた。結局、人は食べて寝る
◆なんとか生きていた この頃はたいして料理などしたことはなかったはず。当時、娘は彼氏と同棲していたので、別に暮らしていた。 私の自宅は、娘が同棲している家からはまったく正反対の方向だったが、それでも仕事帰りに家に来て、食事の支度までしてくれたことが本当にありがたかった。その日の酒は心に染みた。 その時に娘が残してくれたメモ。その日のメモ書きも、なんと写真におさめていた! 妻が入院している病院から自宅に帰る時は、毎日、高田馬場で電車を乗り換えていた。高田馬場の安い海鮮居酒屋で、よく日替わりの刺身をつまみに酒を飲んで帰った。 妻が入院していた3カ月間は、そのお店の料理を食べて、私はなんとか生きていたような気がする。
◆悲しくても……腹は減る そして3カ月が経ち、妻は天国へ旅立ってしまった。 妻の葬式の日も、友人たちと仕出しの料理を食べながらみんなで飲んだ。葬式の翌日は、娘に朝食を作ってあげた。妻がいなくなった部屋で、ふたりでトーストとハムエッグを食べながら泣いた。 でも食べる。そして寝た。 残された2匹のワンコ、らんまるとゆいまるの食事も欠かせない。この子たちも、私が食事を作らなければ自分たちで食べることはできない。 一番かわいがってくれた飼い主が急に消えてしまい、2匹のワンコたちも相当なストレスだったと思う。しかしこの子たちもまた、食べて寝ることで生きていた。 妻が亡くなって、7年が経った。 今では私も料理を楽しめるようになった。妻が教えてくれた料理はひと通り作れるようになったし、新しいレパートリーもだいぶ増えた。 ありふれた毎日に特別な幸せはいらない。ただ食べて寝るだけで幸せなのだから。 一日三回食べて、三回幸せな気分になる。そして、今日という日に感謝しつつ寝る。一日の終わりにも幸せが待っている。最高か!! ※本稿は、『妻より長生きしてしまいまして。金はないが暇はある、老人ひとり愉快に暮らす』(大和書房)の一部を再編集したものです。
ぺこりーの
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