シンガーソングライター灯橙あかが語る、歌うことで見つけた「拠りどころ」
ギターをはじめたきっかけ、シンガーソングライターとしての活動のはじまり
―中学校はどんな感じでしたか? あまり馴染めていたとは、言えないですかね……(笑)。新しい人間関係が始まるときって、最初はすごく頑張っちゃうんですよ。明るく振舞って、周りに話を合わせちゃう。そうすると、流れでちょっと派手めなグループに入るんですけど、やっぱりついていけなくなっちゃうんです。 ―部活とかには入っていたんですか? 小学校高学年のころから合唱クラブに入っていたので、中学でも合唱部に入りました。あとは、姉も歌を歌うのが好きで、先に合唱部に入っていたというのもありました。 ―お姉さんとは中学校3年生と1年生という関係だったんですね。合唱部でなにか印象に残っている思い出はありますか? 3年生の文化祭で、私がアコギで伴奏をして、みんなで歌うというのをやりました。 ―合唱で伴奏がアコギって珍しいですよね。 はい。でも、うまくいったと思います。部員が30人くらいいたので、ギターにはマイクを立てて音を拾いました。 ―曲はなにをやったんですか? スピッツさんの「チェリー」です。 ―そもそもギターを始めたのはいつだったんですか? 中学校2年生のときです。そのころからあい変わらずシンガーソングライターになりたいという夢を持っていて、“ギターは弾けたほうがいいんだろうな”と思ってたんです。そこで両親に、知り合いにギター持ってる人とかいない?と聞いてみたら、運よく親戚に使っていないモーリスのアコギを持っている人がいたんです。それを譲ってもらったのが最初です。 ―最初はどうやって練習したんですか? 教則本を買ってきて、そこにコードが載っていた曲をひたすら練習してました。最初に覚えたコードはCですね(笑)。 ―Cは開放弦も含まれるのでけっこう難しかったのでは。 難しかった。指にばんそうこう貼りながらやってました(笑)。 ―楽器って、1曲弾けるようになるとどんどん上達していくものなのかなと思うんですけど、ギターも楽しくなっていきましたか? 楽しいというより、子どもっぽいですけど、ギターに関しては誰かに褒められたりするのが嬉しかったです(笑)。だから、目標がないと続かないと思ったので、文化祭の発表でギターの伴奏っていうのを考えたんです。 ―なるほど。なんというか、すごくしっかりしてますよね。高校ではどうでしたか? 高校でも引き続き合唱部に入りました。 ―高校に入ると軽音部があったりすると思うんですけど、バンドをやりたいとは思わなかったんですか? あったんですけど、合唱の経験のほうが長いし、何より勇気が出なくてそっちをやろうかなと思ったんです。あっ、でも高校1年生のときにヤマハの3万円のアコギを買ったんです。というのも、きっかけになった絢香さんも、作曲のときだけピアノを使うというスタイルだったので、自分もアイデアを膨らませるためにギターでコードを弾けたりしたらいいなと思って。 ―いよいよ曲作りが本格化していくわけですか。 いや、それが全然で……依然としてボイスレコーダーに自分の声を吹き込んでました(笑)。 ―アイデアはあっても、それを形にするという作業までは進まなかったんですね。 うん。なんというか、やり方がわからなかったし、とにかく自分が音楽をやるということに対して、ずっと自信がなかったんです。シンガーソングライターになりたいという夢も、ほとんど他人に言えなかったですし。私、高校まではずっと周りの顔色を伺って生きていたんです。このあと大学に進みますけど、音楽がやりたかったから本当は進学したいとも思っていなくて。でも一方で、“大学生になれば自由に生きられるだろう”とも思っていたんです。 ―関西の大学に進学して、ひとり暮らしを始めるんですよね。ご両親の反対とかはなかったんですか? そこはなかったですね。大学に進学して欲しいし、ひとり暮らしは経験するべきだっていう意見でした。 ―で、バンドを始めるんですね。 はい。やりたいことを一気にやり始めた感じでした。相変わらず作曲に対する自信はなかったんですけど、このタイミングしかないと思って、オリジナル曲オンリーの軽音サークルに入ったんです。そこで5人組のバンドを組みました。 ―そこで人生初めての作曲ということになるんですか? はい。入って3カ月後に発表があったので、いよいよやらなきゃという状況になって、1曲作ったんです。「そらのいろ」という、キーがAmの、ちょっと暗い曲でした。大学生活が始まって、初めてひとり暮らしを始めたときの不安みたいなものを歌った曲でした。メロディーはなんとなく覚えているけど、歌詞とかは忘れちゃいましたね(笑)。 ―ライブハウスにも出始めたりしたんですか? しました! 同じサークルのなかにシンガーソングライターの同級生がひとりいて、ライブハウスに出て活動しているというのを聞いて、すごい!と思ったんです。それでどうやったら出られるのかを聞いて、私も出るようになりました。最初に出たのは、京都のTRUSTというライブハウスでした。それから月に2回くらいは京都、大阪で出たりしてました。そのころからYouTubeにカバー動画やオリジナル曲を上げていったりして、今の活動に繋がっていく感じですね。