劇的なエンディング後も遺された側の人生は続いていく 『エピソードアイギス』は『P3R』にとって必要な完結作か、それとも不要な蛇足か
『ペルソナ3 リロード: Episode Aegis(以下、エピソードアイギス)』が9月10日に配信された。本作は2024年2月2日に発売された『ペルソナ3 リロード』(以下、『P3R』)のDLCという形で、2007年リリースの『ペルソナ3 フェス』で追加された本編の後日談「Episode Aegis」をリメイクしたもの。こちらは、本編エンディング後のプレイヤーの想像に任せた部分を赤裸々に描いた結果賛否両論の評価となり、その後PSPで発売された『ペルソナ3 ポータブル』では実装されなかった。そのため本エピソードの熱狂的なファンも存在する一方、否定的な意見も多数見られたため、長らく“開発陣もなかったことにしたいのではないか”という意見も飛び交っていた。 【画像】物語の“完結編”となった『P3R: エピソードアイギス』のスクリーンショット そのため『ペルソナ3』のフルリメイク作『P3R』における扱いが注目されていたが、有料DLCエクスパンションパスの目玉としておよそ17年ぶりに表舞台に上がることに。ゼネラルプロデューサーである和田和久氏は告知動画で「『P3R』発表時に多くの『エピソードアイギス』を求める声があった」と話し、自身も「後日談である『エピソードアイギス』なしに『ペルソナ3』は完結しないと考えている」と語られている。 筆者も『ペルソナ3 フェス』は発売当時にプレイして、その後のゲームライフに大きな影響を受けたタイトルである。そんな期待と不安がないまぜになった本作について、『ペルソナ3』にとってどういう作品なのかを軸にレビューを行っていきたい。またプレイにあたってはXbox Series X|Sでプレイを行い、クリアまで30時間ほどであった。本記事では『エピソードアイギス』ストーリーの核心には迫らないものの、後日談というエピソードの立ち位置上、本編エンディングへの言及があるため注意願いたい。 ■後日談としての『エピソードアイギス』 『エピソードアイギス』は、主人公の“死”という形で締めくくられた『P3R』エンディングから地続きの後日談である。私立月光館学園に主人公が転校し、「シャドウ」と呼ばれる怪物の襲撃をきっかけに「ペルソナ」という力に目覚め、特別課外活動部(S.E.E.S.)に加入。日中は学生としての生活に励み、キャラクターたちとの交流を深めながら、1日と1日の狭間「影時間」に現れるシャドウを討伐するという二重生活を送っていた本編シナリオ。そして時は進み、迫りくる終末に立ち向かうため、主人公が文字通り命をかけてラスボス「ニュクス」を封印し、世界の終わりが回避された――“その後”を描く物語である。 リーダーとして仲間を引っ張ってきた中心人物を失ったS.E.E.S.メンバーは心に傷を負い、主人公が守ってくれた世界で前を向こうとするも「彼」の存在の空白を感じてしまう。その状況でそれまで過ごしてきた寮が閉鎖することになり、ささやかなお別れパーティを開いていると、午前0時に時間が空回りする感覚を覚え、3月31日から日付が進まなくなる現象に巻き込まれる。そして困惑する一同を少女型戦闘用ロボット「アイギス」の妹を名乗る「メティス」が襲撃したことをきっかけに、アイギスは主人公と同じく自在にペルソナを操れる“ワイルド”の力に覚醒する。その後「アイギスを守るためにやってきた」と話すメティスを仲間に加え、繰り返される一日を終わらせるため「時の狭間」という空間を探索していくのがストーリーの概要だ。 最初に筆者の意見を提示するが、私も和田氏と同じく「『エピソードアイギス』があってこそ『ペルソナ3』が完結する必要な物語」だと考えている。本作のテーマは「メメント・モリ(死を想え)」つまりは死生観にフォーカスされ、物語の軸に「死」や「別れ」を据えながらもシリアスに終始しておらず、学園生活やキャラ同士の交流で「生のきらめき」も同時に描写しているのも特徴。そうして「人は例外なく必ず死ぬ“だからこそ”毎日を楽しみ、日々の一瞬を噛みしめながら悔いのないように生きるべき」だというメッセージをプレイヤーに伝えている。だからこそ本編でひとりの人間の生前を描写したのであれば、追加シナリオで「死後」が描かれるのは極めて自然であり、テーマと一貫したシナリオである。 たしかに本編エンディングまでを切り取れば、「悲しくも美しい感傷的な青春ジュブナイルもの」として屈指の完成度を誇っているのは間違いない。だが、主人公が亡くなった後も遺された者の人生は続いていくのだ。『エピソードアイギス』で描かれるのは罪悪感と後悔に苛まれ生々しく感情をぶつけあい、それでも生きていこうとする人物たちの姿だ。 そのため一部のプレイヤーに蛇足だと思われつつも、キャラクターたちが前に進むために必要な儀式であり、『P3R』完結のために描かれなくてはいけなかったエピソードだと考えている。また公式から「よりキャラクターに感情移入できるように調整した」とアナウンスされているように、仲間内でギスギスしすぎていたと言われる『ペルソナ3 フェス』と比較しても細かくセリフが変更されたり、ダンジョン内で入手したアイテムを使用して各キャラクターの掘り下げをしたりと『P3R』の続編として受け入れやすい調整は加えられている点にも注目したい。 ■“ゲーム”としての『エピソードアイギス』 上記で『エピソードアイギス』は物語として必要なピースだと話したが、“ゲーム”としては歪な形として構成されているように思う。『P3R』の基本的なシステム紹介に関しては先行レビューに任せるが、『ペルソナ3』の軸は「ストーリー」「ダンジョン攻略&バトル」「学園生活」の3本柱だと考えている。しかし『エピソードアイギス』ではそのうちの「学園生活」が丸ごと失われている。 そして30時間の『エピソードアイギス』プレイ時間における「ストーリー」と「ダンジョン攻略&バトル」の比率は、おおよそ筆者の体感では2:8、人によっては1:9ほどだと感じる人もいるだろうと思うほどにダンジョン偏重の構成だ。本編における「タルタロス」も200階超えの超高層自動生成ダンジョンだが、あくまで学園生活やストーリー進行のメリハリとして作業感の強さをある程度分散できていた。 だが『エピソードアイギス』は“ダンジョンしかないので、ダンジョン攻略をするしかない”のだ。その間で描かれる各キャラクターの過去は補完としては興味深くても、それ自体に大きな面白さがあるわけではなく、本編のストーリーと比較しても強烈にプレイヤーを引き込ませるものではない。ゲームの流れとしては「時の狭間」に用意されたダンジョンを攻略しながら、キャラクターの過去を垣間見つつ、メティスの正体やなぜ3月31日から時間が進まなくなってしまったのかを探っていくが、謎が明かされるのは終盤に差し掛かるころだ。 そのため『エピソードアイギス』はあえて露悪的な言い方をすると、“『P3R』の後日談を見たい”というファンの欲求を人質にして、盛り上がりが薄い単調なゲームプレイをプレイヤーに飲み込ませている。それが10時間程度であれば“そういうもの”だと割り切れる人も多いだろうが、30時間かかる1個のRPGタイトルとしては正直褒められるものではない。 もちろん『ペルソナ3 フェス』から、遊びやすいように改善された要素も多い。『エピソードアイギス』は本編と違い、ペルソナ合体時にコミュボーナスが存在しないためレベル上げが大変だったが、本作では新たに戦闘終了時に装備していなくても、自動的に経験値を入手できる「グロウ」系のスキルを多くのペルソナに所持させている。そのおかげでダンジョン攻略で戦闘をくり返していると自然にペルソナのレベルが上昇し、難易度選択が可能になったことと合わせ、「難しくてクリアできない」というプレイヤーはオリジナル版と比べて減少しただろう。 ただ、リメイクにおける追加要素とダンジョンしかない仕様の折衷に、苦労しているような印象を受ける場面も存在した。たとえば『P3R』で実装されたダンジョンの特殊エリア「モナドの扉」は、本編においては単調なタルタロス攻略のスパイスとして強力なシャドウを倒すと貴重なアイテムが入手できるシステムだった。『エピソードアイギス』でも取り入れられており、左・中央・右の扉ごとに異なる難易度に応じて報酬が増える仕様だ。報酬はエリアに応じた武具などが手に入るが、それらがあまりに“強力”すぎて装備が購入可能な交番や、アイテム交換屋「眞宵堂」の存在意義が消滅。 リメイクで追加された「薄明の欠片」というアイテムを消費することで希少装備を入手できる「鍵付き宝箱」も、「モナドの扉」の存在により開錠する意義を見いだしにくくなっており、システム同士の取り合わせの悪さを感じてしまった。ストーリー重視のRPGである『P3R』の追加シナリオという形で、物語的に重要でありながら薄めのシナリオと、バトル偏重な構成による本編との体験の落差を感じてしまう人もいるのではないか。 以上のように「学園生活」という屋台骨を失った『エピソードアイギス』は、『P3R』という“ゲーム”としては歪で、プレイヤーによっては蛇足になり得るかもしれない。だが、そこで描かれる“物語”は「生と死」をテーマにした『P3R』のキャラクターたちが、前に進むために必要な儀式であり墓標であり目印である。だからこそ、その物語をなかったことにはしたくない。私は今回アトラスが完結作として『エピソードアイギス』を安易なハッピーエンドに改変せず、そのままの形でリメイクしたことをうれしく思っている。
SIGH