「青木宣親選手の思い出」6年4組3番、山本萩子【山本萩子の6-4-3を待ちわびて】第132回
9月18日の広島戦で、今シーズン限りでの現役引退を表明しているヤクルト・青木宣親選手(42歳)が、5回に代打で出場してセンター前にクリーンヒット。その後、2塁に進むとサンタナ選手のタイムリーで激走して同点のホームを踏み、ファンからは大きな拍手が送られました。 【写真】山本キャスターの最新フォトギャラリー 身長175cmと野球選手としては大きくありませんが、"安打製造機"の異名を取り、メジャーでも活躍。「ここぞ」というときだけでなく、常にヒットを打っているイメージがありました。 走力や守備の能力も高く、MLBで言うところの「ミート力」「長打力」「走力」「守備力」「送球力」の5つの能力に優れた"5ツールプレーヤー"という評価は、まさに青木選手のためにあるような言葉だと思いました。 東京六大学リーグで活躍し、「走攻守そろったユーティリティプレーヤー」という触れ込みで、2003年にドラフト4位で入団。ただ、当時は早稲田大の同級生だった鳥谷敬選手のほうが目立っていて、飛び抜けて注目されていた選手ではありませんでした。 スカウトにとってドラフトは、4巡目以降が腕の見せどころだと言います。チーム事情によりますが、「もしかしたら大化けするんじゃないか」と思える選手を思い切って指名しやすいからです。 初年度の青木選手は入団会見でも感じたように、ちょっぴりやんちゃでイケイケな印象でした。若さもあったかもしれませんが、「何かやってやる」というギラギラとした闘志を全身に漲らせていました。「この選手は何かをやってくれそうだ」と期待感を抱かせてくれたものです。世代もありますが、私の周りにはいつも、青木選手に憧れる男子がたくさんいたのを記憶しています。 2年目には、イチローさん以来となるシーズン200安打を達成。プロ野球新記録のシーズン169単打を記録し、最終的に202安打を放って最多安打のタイトルを獲得し、打率.344でセ・リーグ首位打者に輝きます。新人王にも選出され、スカウトの狙いが正しかったことを証明しました。 その後、2011年までに3度の首位打者を獲得し、名実ともに日本を代表する打者となった青木選手が、次に目指しのたのはMLBでした。 2012年にプレーしたミルウォーキー・ブルワーズを皮切りに合計7チームを渡り歩き、日本でも見せたシュアなバッティングと堅実な守備で活躍。6年間で7球団に所属したのは、日本人最多タイだそうです。2015年シーズンで試合中に頭部死球を受けて以降は、プレーするのがしんどそうな時期もありましたが......。 2018年には、MLB市場の停滞の影響もあって日本球界復帰が決まります。本人としては不本意だったかもしれませんが、日本に帰ってきたときの会見での「この球団を愛している」という言葉にファンは興奮しました。