朝井リョウが明かす大ヒット新作『生殖記』の舞台裏「これまで書いたことのない文章がどんどん出てきた」
書いたことのない文章が出てきた
――読者の方には、前情報なしにこの「語り手」の驚きと楽しさを味わっていただきたいです。とはいえ、前代未聞の書き方は難しかったのでは? それが本当に楽しかったんです。一人称や三人称での語りだと、なぜ語り手がその情報を知っているのかとか、なぜこの場所にいるのかとか、そういうことをまず自然に描写しなければならない。この台詞をこの人物に言わせるための必然性、みたいな部分に結構な労力と文字数を割いていたんですね。 でも本作の設定の語り手ならば、「ところで」とか「そういえば」などの一言で、それまでとはまったく違うことを話し始めても成立するんです。これまで苦労していた面がなくなって、「いいの?」という感じでした。今、そこから文体を戻すのが本当に大変です。 あと、初めて採用した語り手なので、これまで書いたことのない文章がどんどん出てきてくれたことも本当に楽しかったです。今の人類にとってポジティブな方向でもネガティブな方向でも、初めて書くような言葉がすらすら出てきてくれて、書き手として快感でした。 ――終盤、それぞれバラバラな登場人物たちが揃って同じ「ある反応」を示します。そこからラストへと向かう展開も巧みでした。 どうやって終わらせるか、実はまったく考えずに執筆していました。いつもはプロットを作り込むんですが、今回はこの「語り手」にひっぱられる形で、何も決めていなくて。 ミステリ作家の方がインタビューで「自分でも犯人が判らないまま書いていったけど、最後には上手くまとまった」みたいに話すじゃないですか。それを読んで、「嘘ばっかり!」と思っていたのですが(笑)、今回初めてその気持ちがわかりました。収まるところに収まるってこういうことなのかも、みたいな。 ――本作を読んで、読者にどんなことを持ち帰ってほしいですか。 それが、今の私は小説を書いているときに読者の存在が浮かんでいないので、持ち帰ってほしいものも私からは特にないんです。誰かを元気づけたいとか、逆に絶望させたいとか、まったく考えずに書いているんです。 『正欲』もそうで、今はとにかく私自身がそこに「ある」と思える感情、そこに「いる」と思える人を描写しよう、というモチベーションで小説を書いています。そうなってからは、この記事で言うのは申し訳ないですが、レビューもあまり読まなくなりました。 ――実は、朝井さんは直木賞受賞後の2013年の『週刊現代』のインタビューで、「100万人に届く小説を書きたい」と仰っていたのですが……随分遠くに来られましたね。 100万人に届くものを書こうとしたけれど、そういう気持ちで書いた小説は実は広く届かない、みたいなことを思い知ったのかもしれません。 今は、こういう匂いが立ち上がるものを書きたい、しかし今の自分に書けるかな? みたいな、実験精神に満ちている感じです。印象的な場面場面を描いただけのごく短い掌編を10本以上まとめた作品集を編んでみたいとか、あの短編で使ったアイディアを膨らませて中編にできないかな、とか、そういうワクワクの中にいますね。 (取材・文/伊藤達也) 『週刊現代』10月11日発売号より
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