アニソンの帝王・水木一郎さん死去 幼少期は母親の聴くジャズが子守唄
アニソンの帝王として親しまれてきた歌手・水木一郎さん(享年74)が6日午後6時50分、救急搬送先の病院で肺がんのため亡くなったことがわかりました。12日に所属事務所が発表しました。 水木さんは7月に肺がんで闘病していることを公表しており、多くのファンが心配をしていましたが、「生涯現役」を目標に治療とリハビリに励み、最後のステージとなった11月27日のライブでは満面の笑みを浮かべていました。 所属事務所によると肺がんが発覚したのは昨年4月末、以後は入退院を繰り返しながら放射線治療や薬物療法を行い、闘病生活は1年7ヵ月あまり続いていたとのことです。
母親が聴いたジャズが子守唄がわりだった幼少期
筆者は2018年、歌手デビュー50周年を迎えた水木さんを取材しました。そのとき水木さんはパワフルな歌唱そのままにエネルギッシュな語り口調でインタビューに答えてくれました。 「70歳になりましたけど、ルンルンなんですよ。ステージに立っても年を取ったと思わないし、声も出ちゃうし」 「自分で言うのもおかしいですけど、現役で毎年新曲も出せて、本当にラッキー。運がいいのか、実力があるのか、人柄がいいのか(笑)」 ジョークをまじえながら元気に話す水木さんの笑顔が忘れられません。 水木さんは1948(昭和23)年1月7日、東京の出身。生まれる前、実家がレコード店だったそうです。東京大空襲によって焼けてしまい世田谷に疎開、父親がクリーニング店を始めた頃に水木さんが生まれたのでした。 自宅には当時はまだまだ珍しかったステレオセットがあって、母親が好んで聴いていたスタンダードジャズが子守唄がわりでした。そんな環境で育った水木さんは自然と洋楽に親しんで、5歳のときには歌手になろうと思っていたそうです。 「キャラメル工場に遊びに行くと、キャラメルのくずをただでくれて、それをかみながらでたらめ英語ででたらめな歌を歌ってたんです。ビング・クロスビーやフランク・シナトラになったつもりで」 懐かしそうに振り返っていました。 その後、作曲家・和田香苗の門下生となり一度は歌謡歌手としてデビューしましたが売れず、1971(昭和46)年に日本コロムビアからアニメ『原始少年リュウ』のオープニングテーマ『原始少年リュウが行く』でアニメソングの歌手として仕切り直し。以後、『超人バロム・1』、『変身忍者 嵐』、『アストロガンガー』、『マジンガーZ』、『バビル2世』、『ロボット刑事』、『仮面ライダーX』など70年代から80年代にかけてアニメ・特撮作品の主題歌や挿入歌でアニソンの帝王に登り詰めて行ったのでした。 多くの子どもたちに夢や希望、勇気を与えてくれた水木一郎さんのご冥福をお祈りします。 なお、お別れの会などについてはご遺族と相談のうえ後日執り行う予定とのことです。 (写真と文・志和浩司)