『鬼滅の刃』不死川実弥と伊黒小芭内は“最も優しい”柱? 稽古時に見えた隊士への愛
放送中の『鬼滅の刃』柱稽古編。この話は、原作コミックスだと1巻分ぐらいの尺しかない。「刀鍛冶の里編」からクライマックスである「無限城編」への、ブリッジ的なエピソードである。「この短いエピソードで、どうやって1クール持たせるのか。どうせアニオリをこれでもかと挟み込むのだろう」そう思っていた。 【写真】台風のような剣撃を見せた、強すぎる不死川実弥 原作付きアニメを観ていて「今日の話はなんか浮いてるな……」と思った場合、それはアニオリ回である場合が多い。キン肉マンが妙に雑な設定の超人と戦っていたり、なぜか悟空とピッコロが自動車教習所に通っていたりする場合、それは往々にしてアニオリだ。 想像通り『鬼滅の刃』柱稽古編は、原作にないエピソードから始まった。原作にない、風柱・不死川実弥、及び蛇柱・伊黒小芭内の戦いで幕を開けた。今まであまり見せ場のなかったこの2人が存分にモブ鬼を斬り刻む様に、風柱ファン及び蛇柱ファンは大興奮したはずだ。 実際の風柱ファン及び蛇柱ファンの多寡はともかく、この2人は下級隊士から見た不人気柱トップ2だろう。まず見た目が“正義側”ではない。十二鬼月にいても違和感はない。その点、いかにも“陽性のヒーロー”だった炎柱・煉獄杏寿郎や音柱・宇髄天元とは正反対である。口も悪いしすぐ手も出るし、なにより後輩に異常に厳しい。 この柱稽古編のアニオリ要素の1つに、「厳しく見えた柱の実は優しい面と、最後に奮起する下級隊士たち」という展開がある。宇髄さんや霞柱・時透無一郎のエピソードが、それに当たる。これは原作にはない展開だ。原作では、宇髄さんや時透くんはただ厳しく怖く、下級隊士たちもただ稽古についてこれないモブとして描かれている。そもそも原作では、彼らのエピソードは5コマ(宇髄さん)や9コマ(時透くん)で終わるのだ。 宇髄さんや時透くんが「実はいい人」であることは、前シリーズや前々シリーズですでに描かれている。だから彼らが、下級隊士に意外な優しさを見せても構わない。だが、不死川と伊黒は別だ。この2人の「下級隊士への優しさ」をわかりやすい形で描くことは、絶対にしてはならない(理由は後述)。今回のアニオリ展開でいちばん心配していた点が、そこである。では実際に、彼らのエピソードはどのように描かれていたのか。 まずは、蛇柱・伊黒小芭内の太刀筋矯正稽古である。入り組んだ柱に縛りつけられた無数のかわいそうな隊士たちの隙間を縫って、炭治郎と伊黒が木刀で戦う。その際伊黒の木刀は、狭い隙間を文字通り蛇のようにグネグネと曲がりながら、炭治郎を襲う。まるで木刀自体が折れ曲がって伸びてくるように見えるが、そうではない。これは伊黒の肩・肘・手首の柔軟性と、究極の脱力によるしなやかさが生むものだろう。柱の中でも特に小柄な彼は、比較的早い段階でフィジカル勝負を諦めていたと思われる。代わりに、柔軟性やしなやかさや脱力に、全振りしたのだろう。 初登場となる柱合会議の際、炭治郎を伊黒が肘で抑え込むシーンがある。肘を背中に乗せられているだけなのに、炭治郎はまったく動けない。寝技で抑え込みが上手い人間は、基本的に脱力が上手い。力んだ人間は軽いが、力を抜いた人間は恐ろしく重い。死体や眠っている人間が重いのは、この理屈である。抑え込みで大事なのは、パワーではない。しかも伊黒は肘の先端の一点だけで、自分より大きく重い炭治郎を抑え込んでいる。 なんとか伊黒の稽古をクリアした炭治郎だが、ちゃんと原作通りに「さっさと死ね、ゴミカス」と罵倒されて送り出される。「最後は優しい伊黒さん」になってなくて、心の底からホッとした。 続いて、風柱・不死川実弥の無限打ち込み稽古である。その台風のような剣撃で、集団でかかって来る隊士たちをはじき飛ばす。空手の百人組手の様相だが、不死川が強すぎて話にならない。炭治郎も例外ではない。毎回ぶっ飛ばされ、顔も体もボコボコだ。 気になったのは人差し指から小指までの四指が、紫色に腫れあがっていることだ。それも、拳と第二関節の間の部分がピンポイントで。不死川は剣道の小手の要領で、意図的に指を狙っているのではないか。あの腫れ上がり方を見るに、打たれた瞬間は刀を取り落としているかもしれない。真剣ならば四指を切断されているし、木刀であっても繰り返しピンポイントで打たれれば、指は破壊されるだろう。 また、弟である玄弥の発言に激昂した際は、躊躇なく目突きを繰り出した。不死川の炭治郎及び玄弥への攻撃は、「相手の再起不能」を目的としているように見える。 以上の理由からわかることは、伊黒も不死川も、どの柱よりも「優しい」ということだ。別に血迷ってはいない。なぜなら、彼らの過剰なまでの下級隊士への厳しさや、「育てる」というより「潰す」ことを目的とした稽古が、その証拠だ。 言うまでもなく、鬼殺隊として生きることは、死と隣り合わせだ。時透くんが言うように、「9回勝っても1回負ければ死」である。覚悟が足りない隊士や技量に劣る隊士は、どんどん死んでいく。伊黒と不死川は、後輩に死んでほしくないのだ。だから、死にそうな隊士は潰して、辞めざるを得ない状況に持っていく。 逆に陽性の柱である煉獄さんや宇髄さんは、ある意味残酷だ。彼らのような「憧れの先輩」は、後輩たちのやる気を促す。煉獄さんにあの太陽のような笑顔で「うむ! ともに頑張ろう!」と言われたら、やっぱり頑張ってしまうと思うのだ。技量に劣る隊士であっても。 事実、煉獄さんの過去を描くスピンオフ漫画『煉獄零話』(『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の入場者特典に収録)によると、煉獄さんは最終選別の時点で、すでに同期から憧れられている。「俺、貴方みたいになりたいです」と、キラキラした目で訴えかけられている。その時の同期たちは、隊士になってすぐに(おそらく最初の任務で)死んだ。 伊黒も不死川も、柱になるまでに、嫌と言うほど仲間の死を見てきたはずだ。これ以上、誰にも死んでほしくない。特に不死川は、弟の目を潰してでも鬼殺隊を辞めさせようとした。鬼に殺されるよりはマシだと、思ったのだろう。不死川の技量なら、「鬼と戦うのは無理だがギリギリ生活はできる視力」は残すよう、当て方をコントロールしていたかもしれない。 「最も怖い柱」改め、実は「最も優しい柱」である2人。彼らの恐ろしさの奥の奥のそのまた深淵に流れる愛を感じ取りながら観れば、この柱稽古編はさらに面白く感じるはずだ。
ハシマトシヒロ