江戸時代、推しの役者を“千両”ではなく「万両役者」に…虚実ない交ぜに翻弄される連作(レビュー)
二〇二〇年『化け者心中』で第十一回小説野性時代新人賞を受賞し、デビュー以来、各賞を受賞している蝉谷めぐ実が「小説新潮」に発表していた短篇の単行本化である。 それぞれ主人公がいるものの、通底している中心人物は江戸森田座気鋭の役者・今村扇五郎だ。 彼を、千両役者を越えた万両役者たらしめんと、芝居好きの贔屓筋が手を替え品を替え、今で言う推し活に勤しむ。 当時の風俗、芝居見物における習わし等、参考文献を見てみれば相当研究した事は優に知れるが、いや違う。唯一無二の語りで、江戸の、芝居の世界を描破した著者は、それを知っているのだ。読んでいる私たちの目の前で繰り広げられているその世界を、著者はまるで見てきたかのように語るのだ。 芥川の芸術至上主義でも、シェークスピアの戯曲でもなく、そこに居る生(なま)の人間の、しかし、芝居に取り憑かれた人間の業・性根を、そう芝居の神の視点で描き切る。 扇五郎に関わった人間は、良くも悪くも、己れの性根が炙り出される。 文字通り世間知らずの大店のお嬢様、中売りの饅頭屋、舞台衣裳の女仕立て師―皆それぞれが扇五郎と関わり、己れの人生を生きていく。彼らは皆“役者”に見立てられ、それぞれの人生を“主人公”として演じていく。 彼らの芝居に翻弄されながら、私たちはそれから目を離せない。もう枡席に座っているのだ。私は桟敷席がいいなぁと贅沢を言いながら、ラストに向けて収斂していくこの芝居の客なのか、はたまた通行人かも―。どこから芝居で、どこまで芝居か、虚事の中の実は、深く考えさせられる。“生きる”事に、力を貰った心持ちになるラストであった。 虚実綯い交ぜ、何を信じてよいやら、どうぞご自身の目でお確かめあれ。ゆめゆめ、書評なんぞに満足、誤魔化されませぬよう。 [レビュアー]縄田一男(文芸評論家) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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