【特別対談】ドルビーアトモスで蘇るショルティ《ニーベルングの指環》。奇跡の録音が聴かせる新たな可能性
ドルビーアトモスで蘇るワーグナー《ニーベルングの指環》 ワーグナーが手がけた《ニーベルングの指環》は、総時間は15時間、通しで演奏するのに最短4日を必要とする壮大なドラマが展開されるオペラ作品である。神々と人間、さまざまな種族の思惑が絡まり合うこの作品は、誕生から100年以上経った現在もなお人々を惹きつけてやまない。 「ニーベルングの指環」の中でも、特に名演・名録音と名高いのが、1950〜60年代にかけて収録されたサー・ゲオルグ・ショルティ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による《指環》の全曲録音である。それが新たにリマスタリングされSACDとして発売されるともに、史上初の“ドルビーアトモス”ミックスによる配信がスタートしている。 世紀の名録音は、ドルビーアトモスでどのような新しい世界を見せてくれるのだろうか。ワーグナーがオーディオを始めるきっかけになったというオーディオ評論家の山之内 正氏と、奥様との出会いのきっかけがワーグナーであったという哲学者の黒崎政男氏のおふたりが、山之内氏の自宅に据えられた最新オーディオビジュアルシステムで《指環》のドルビーアトモスを体験した。 なお、本編に先立ち、ワーグナーの「ニーベルングの指環」の作品誕生の背景と、世紀の名録音を手がけたプロデューサーのジョン・カルショーの役割について、山之内氏による簡単な解説を付しておく。すでに本作についてよくご存知の方は読み飛ばしていただき、2p目の対談本編から読み進めていただければ幸いだ。また「ニーベルングの指環」のストーリーについては、里中満智子の『マンガ名作オペラ ニーベルングの指環』(上下巻・中公文庫)がコンパクトにまとまっており、入門者にオススメできる。 愛憎渦巻く重層的な関係を描く《ニーベルングの指環》(山之内) 前人未到の壮大な作品群を台本から音楽まで一人で作り上げたワーグナー(1813-1883年)。そのなかで最も複雑かつスケールの大きな作品が《ニーベルングの指環》である。「ラインの黄金」、「ヴァルキューレ」、「ジークフリート」、「神々の黄昏」からなる四部作を連続上演するには最短でも4〜10日ほどかかるが、それでも歌手の負荷が大きいため、一年に一作程度を上演することが多い。 四部作すべて上演すると計15時間に及び、主な登場人物だけで約40名。ブリュンヒルデやジークフリートなど主役級の歌手たちは大編成のオーケストラと対峙して延々と歌い続けなければならず、他の作曲家のオペラとは比較にならないほど難度が高い。 歌手とオーケストラだけでなく聴衆にとっても過酷なオペラが現代までずっと生き延びているのは、《ニーベルングの指環》でなければ体験できない世界があり、抗えないほど強烈なワーグナーの魅力があふれているからだ。ワーグナー自身、この作品を完成させることへの執着は異常なまでに強く、構想から完成まで26年を費やし、理想的な上演のための専用劇場をバイロイトに建てるほど没頭した。そこまで強く引き込まれる理由の一つは物語の展開に普遍性があるからだ。 <あらすじ> 第一部:ラインの黄金 指環の物語は黄金を守るラインの乙女たちの三重唱から始まる。地底に暮らすニーベルング族のアルベリヒは、世界を支配する力がそなわる黄金の魅力に取り憑かれ、愛を断念する代償としてその黄金を手に入れて指環を作る。その指環を最初に狙ったのが神々の一族を支配するヴォータンだ。ヴォータンは神々が住むための豪華な城を巨人族に作らせながら支払いを拒否。人質に取られた女神フライアを取り戻すために巨人族に指環を渡す羽目になる。アルベリヒは強奪された指環に呪いをかける。指環を手にした途端、巨人族の兄弟が内輪もめを起こし、弟ファフナーが兄ファゾルトを撲殺。神々は呪いの恐怖におののく。 第二部:ヴァルキューレ 人間の世界。ジークムントが宿敵フンディングから双子の姉妹ジークリンデを奪取して逃走。ヴォータンは人間の女性に産ませた我が子ジークムントを救おうとするが、結婚の神である妻フリッカの反対に押し切られる。英雄の守護神ヴァルキューレの一人でヴォータンの長女ブリュンヒルデが抵抗するが、ヴォータンが妨害し、フンディングがジークムントを殺害。ヴォータンは命令に背いたブリュンヒルデの神性を奪って燃え盛る岩山に封じ込める。ブリュンヒルデを救えるのは恐れを知らない英雄だけだ。 第三部:ジークフリート ジークリンデが生んだジークムントの子ジークフリートはアルベリヒの弟ミーメに育てられるが、父親を知らないジークフリートは恐怖の概念をも理解しない。ドラゴンに変身して指環を守るファフナーを、譲り受けた剣でジークフリートが退治。返り血を浴びて不死の肉体と指環を手に入れたジークフリートは岩山で眠るブリュンヒルデを目覚めさせる。 第四部:神々の黄昏 アルベリヒの子ハーゲンの策略で記憶を失ったジークフリートはブリュンヒルデを忘れてしまい、他の男の妻にするために岩山から誘拐を図る。一度はブリュンヒルデに贈った指環も他人になりすまして奪う。態度が急変したジークフリートへの怒りが収まらないブリュンヒルデは、指環の奪取を狙うハーゲンにジークフリートの急所を教えてしまう。その情報を頼りにハーゲンはジークフリートを殺害。ブリュンヒルデは指環を取り戻し、ラインの乙女たちに返すが、その後、自ら炎に身を投じ、その炎が神々の城ヴァルハラを焼き尽くす。 ワーグナーは主な登場人物全員と剣や指環など重要な素材に特定の旋律(ライトモティーフ)を割り当て、複雑な物語に統一感を与えた。三世代に及び愛憎渦巻く重層的な関係を文字だけで理解するのは難しいが、歌唱と大規模な管弦楽を駆使しながら共通の旋律を軸に描き出すことで、ストーリーと音楽が一体になり、直感的に理解できるように工夫したのだ。 当代最高峰の歌手を揃えた《指環》。ステレオ録音の手法も模索される ワーグナーが《ニーベルングの指環》を構想してからほぼ一世紀後、プロデューサーとしてイギリスのレコード会社「デッカ」に在籍していたジョン・カルショーが同作品に注目、全曲録音に取り組むことを決断した。モノラルからステレオへの移行期で、大作オペラの世界初ステレオ録音が話題を呼ぶのは必至と考えたのだ。 完成度を高めるために最高峰の歌手を揃え、オーケストラはバイロイト音楽祭で豊富な経験を積むウィーン・フィルを抜擢。指揮者は当時ワーグナーの指揮ではまだ駆け出しだったゲオルグ・ショルティに白羽の矢を立てたが、それが結果として大正解。最高水準の演奏を目指すショルティとカルショーの強い意志に歌手とオーケストラが強く共鳴し、後にも先にも例のない超名演が実現した。 録音は1958〜1965年にかけてウィーンのゾフィエンザールで行われ、クラシック録音史上の最高傑作として揺るぎない地位を確立している。 録音セッションは一作ごとに緻密なスケジュールを組んで歌手を厳選し、端役も含めて配役に妥協はない。素晴らしい声の持ち主でも作品への理解が足りないとカルショーが判断すれば、歌手を交代させることも厭わなかった。演出上で必要なら録音会場の仮設舞台上で独唱歌手を歩かせ、ステージの広がりや奥行きを再現するなど、ステレオ録音ならではの空間表現にもこだわっている。 剣を鍛える音や爆発音など、効果音にも最大限のリアリティを追求した。オーストリア各地から金床を集め、巨大な鉄板を打ち鳴らして雷を再現するなど、小道具の確保に奔走したり、ドラゴンに変身したファフナーの声を再現するためにエコー室を用意するなど、劇場では再現できない仕掛けもあえて採用。リマスタリングの成果で、録音チームの情熱が生んだリアルな音を細部まで聴き取れるようになった。 この録音は過去にも何度もリマスターされて再発されているが、2022年にショルティ生誕110周年・没後25周年を記念して新たにリマスターが行われた。オリジナルのステレオマスターテープから作成された192kHz/24bitのマスターデータをベースに、新たにDSDマスターとドルビーアトモスのデータを作成。DSDマスター音源はSACD盤として、ドルビーアトモスはApple Music等のストリーミングサービスにて再生することができる。 ワーグナーフリークの黒崎氏と山之内氏による対談 黒崎×山之内対談 -ワーグナーとの出会い 編集部 前回のジョルディ・サバールに続き、山之内先生と黒崎先生の対談という形で進めたいと思います。今回はショルティの《指環》のドルビーアトモスミックスが配信されたということで、ワーグナーに人生を狂わされた(?)お二人に、最新のワーグナーサウンドを体験いただくとともに、なぜかくも《指環》という作品は時代を超えて愛されるのか、ということを掘り下げていくことができればと思います。 ちなみに担当編集の私は、今回初めて《指環》をちゃんと聴きまして、あまりの壮大な物語世界にびっくり仰天したところです。そんなワーグナー初心者の新鮮な驚きとともにお届けできればと思います。まずはお二人のワーグナーとの出会いについて教えていただけますか? 山之内 私は中学生の時のFM放送が入り口でした。バイロイト音楽祭では毎年《指環》が上演されるのですが、その年のライブを日本では12月の年末最後に集中して放送していたんです。放送がある日は、ずっと午後聴きながらゆっくりと浸っていましたね。 黒崎 そのFM放送は私も聴いていましたよ。だから、バイロイト音楽祭って長いこと冬だと思ってたんです。みかんを食べながらこたつで聴くバイロイト(笑)。だから、実際に上演されるのは真夏だって知った時はショックでしたねぇ。 山之内 それから、1987年にベルリン・ドイツ・オーケストラが日本で初めて4日間通しで《指環》を上演したコンサートも見に行きました。単発ではその前にもあったようですが、4晩すべてというのは初めてのことです。上野の東京文化会館でのコンサートで、すでに社会人でしたが仕事を15時に切り上げて、毎日のように通いました。それはもう圧倒的な体験でしたね。 編集部 黒崎先生はワーグナーが奥様との出会いのきっかけにもなったとか? 黒崎 妻、当時(大学生時代・1970年代)はまだ彼女でしたが、彼女は中学生時代から強烈なワグネリアンだったんです。私はバッハ一筋の人間でしたが、ちょっとずつワーグナーが気になりだしていた時期で、きっかけはクナッパーツブッシュ指揮「ワーグナー:管弦楽曲集」です。 「ワーグナーは管弦楽とか前奏曲とかじゃなくて《指環》が最高。ジークフリートはヴォルフガング・ヴィントガッセンの声がすばらしい!」というのが初めて出会った時の彼女の言葉。それから私もだんだん《指環》の「ラインの黄金」や「神々の黄昏」を歌手を意識して聴くようになりました。 当時の私はクナッパーツブッシュがとても好きでしたが、《指環》のレコードはまだなかったんですね。ところがクナの1950年代末のバイロイト音楽祭の録音が、プライベートLP盤で代々木のレコード屋さんに売られていました。「神々の黄昏」、とても高価で4万円ぐらいでしたが、彼女と半額ずつ出し合って、私がそのLPからカセットにダビングして、レタリングもして渡しました。 山之内 それはまたロマンチックなお話。 黒崎 もちろん私たちも87年のベルリン・ドイツ・オーケストラの公演も全夜いきました。あの頃字幕がなかったのでなかなか大変でしたが(笑)。 ステレオ録音の可能性に挑んだショルティによる《指環》 編集部 今回のテーマは1958年から1962年にかけて収録されたショルティ&ウィーン・フィルの《指環》になりますが、このレコードも当時から聴いていましたか? 山之内 ワーグナーのあの世界をなんとか自宅でも再現できないか、というのが、私がオーディオに関心を持った大きな理由の一つでもあります。ですからいろいろな演奏を聴くわけですが、結局ショルティが一番いいんですよ。ワーグナーの演奏の中で、自分が思い描いていた演奏に一番近いのはショルティでした。 レコード以外にもいろんな映像も見ました。ただ、歌の解釈だったり、テンポだったり、キレの良さだったりを考えると、ショルティがやっぱりすごいんです。ですから、今回のドルビーアトモスミックスもとても楽しみにしておりました。 黒崎 私は最初からショルティってわけではなかったんですよね。先ほども言った通りクナッパーツブッシュが好きで、特にキルステン・フラグスタートがジークリンデをやった録音が素晴らしい。でも、今回のために改めてショルティを自宅で聴き直して、これはすごい!と改めて気づきました。という話を妻に言ったら、「ショルティが最高。最初っからそう言っていたじゃない」って言われましたが(笑)。 編集部 今回はドルビーアトモスミックスがApple mMusicで配信されておりますので、これと、黒崎先生がお持ちの初期盤レコード、最新のSACDを聴き比べしたいと考えております。というのも、このショルティのレコーディングが歴史的偉業と言われる理由の一つに、当時の最新鋭技術だった「ステレオ録音」で録音されている、ということがあるんですよね。 黒崎 デッカの録音チームは、ステレオに大きな可能性を感じたんだと思います。ふたつのスピーカーで立体的なステージングを作り出すこと、そのイリュージョンが、《指環》という物語のイリュージョン性と合致したと言えるのではないかと思います。 山之内 オペラだと、歌手が舞台と同じように移動したりするので、その動きも表現できるのがステレオならではというところもありますね。 編集部 では早速レコードから聴いてみましょう。レコードプレーヤーはLINNの「LP12」、SACDの再生はOPPOの「UDP-205」です。そこから、当代最高峰といえるMARANTZのAVプリ「AV10」、パワーアンプの「AMP10」に入力しています。ドルビーアトモスはApple TVから再生しています。 フロントスピーカーはBowers&Wilkinsで、リア・ハイトチャンネルも入れて5.1.4chで構成されています。まずは物語の一番最初、「ラインの黄金」の冒頭部分から(SACDでは《ラインの黄金》Disc1 Tr.1「ワイアー!ワーガー!波打て、波よ」)。 「ラインの黄金」冒頭部をLP、SACD、ドルビーアトモスで試聴 ♪「ラインの黄金」冒頭を初期盤LPと最新のSACDを聴く♪ 黒崎 LPはちょっと雑味があるんだけど、豊かな生命力というか、有機的な生き物みたいな豊かさがありますね。SACDはクリアですが、少しスタティックな感じ。 山之内 確かに、SACDはちょっとクリーンな感じがしますが、チェロの動きやヴァイオリンが刻み出すところなど、細かい動きがよく分かります。あと低音のミのフラットの音の安定感は、さすがSACDの方がいい。ただ一方で、レコードは音の太さが魅力でもあります。 編集部 このシーンは、生命の誕生というか、本当に何もない漆黒の深淵から生命が立ち上がる印象を受けます。この漆黒の深さはSACDのほうが暗く深い印象ですね。LPはちょっと薄暗い感じ。では続けてドルビーアトモス聴いてみましょうか。 黒崎 まさか、この冒頭のほんの出だしの箇所で聴き比べることになるなんて思ってなかったんだけど(笑)。 山之内 《指環》はやっぱりこれを聴かないと始まらない。これでいよいよ始まるなって、ワクワク感があります。 編集部 この生命が浮かび上がる瞬間を音で表現する、このワーグナーの偉大さに《指環》初心者の私はどわーんと感激したんです! ♪ドルビーアトモスで聴く♪ 黒崎 この再生では、ハイトスピーカー(Bowers&Wilkinsの「M1」)もリアスピーカー(Sonus faber「Concerto Home」)も鳴っているのね? なんだか深さを感じますね。立体的というか、奥まで重なっている音がよく見える感じがします。ライン川の中に入っている感じと言うんでしょうか。 山之内 奥行きが出ていますね。またトランペットが入るところや、ホルンが音を出す瞬間など、アトモスの方がSACDよりよく見えてきます。 黒崎 ちょっとLPもう一回聴き直していいかな。 ♪「ラインの黄金」の冒頭を再度LPで聴く♪ 黒崎 遠くから、夜明けだ〜って感じがする。素晴らしいですね。 編集部 期待感を煽る感じはレコードに分ありという感じがします。 山之内 セッティングしている時にも感じたのですが、アトモスの場合は長い幕を聴いた後の心地良い疲労感がありますね。あまり緊張せずに聴いていられる。それに対してSACDはテンションがすごく高い。その違いはワーグナーみたいに長い作品では特に重要です。 黒崎 アトモスってもっと人工的かと思ったけど、むしろ自然性の方に発見がありました。 山之内 今回のリマスターはそういう意味で正統派なんです。 編集部 当時、デッカのチームがいちばん新しい技術としてステレオを採用したように、いまもしショルティが生きていたらきっとアトモスで録りたがったのではないかなと思います。 山之内 Blu-rayにもいくつかサラウンドの音源がありますが、ちょっとわざとらしいんですよ。ぐるっとリアにも成分を入れて、囲まれている感じになる。でも実際の劇場の音はそうじゃない。今回のアトモスリマスターはそういうわざとらしいところがなくて、声の余韻を少し残し、金床のシーンなど、ここぞ!というところで全部のチャンネルを使っています。それがびっくりしますね。 「ラインの黄金」アルベリッヒの呪いのシーンで聴き比べ 現代の技術により、説得力を増すアルベリッヒの呪い 編集部 歌のシーンも聴いてみましょう。「ラインの黄金」第4場の頭、アルベリッヒの呪いの場面からです(SACD では《ラインの黄金》Disc2 Tr.6「兄弟よ、ここにじっと坐っているんだ」)。LPとSACD、ドルビーアトモスを聴き比べましょう。 黒崎 レコードでも、アルベリッヒの呪いの声が本当に下から聴こえてきますね。 山之内 レコーディングも苦労したようで、距離の遠さを表現するために、マイクから離れて収録したんですね。 黒崎 アトモスはレコードよりも明るい感じ。音の質感も悪くないし、安心して聴いていられる。 山之内 アトモスは想像以上の出来ですね。効果音やハープもクリアで、多分これは当時意図した音に近いと思うんですよ。鉄板をぶら下げたり、カルショーたちがやった過激なことを、現代の技術でさらに説得力を持たせたんですね。そんなリマスタリングに感じます。 黒崎 SACDも悪くないね。ちなみに、今回のSACDとドルビーアトモスの音源はどういう関係にあるのですか? 編集部 今回の音源は、2022年にオリジナルマスターから192kHz/24bitでデジタル化したものが元になっています。それをDSDマスタリングするとともに、ドルビーアトモスミックスも作成したようです。 山之内 アトモスについてはリマスタリング用のソフトウェアがありまして、元のステレオの音源からどういう成分を抽出してどのように加えるか、どこに配置するか、どのぐらいの音量バランスにするかっていうのが、コンピューター上で色々設定できるようです。そこいエンジニアの力量がかかってきいますね。 黒崎 なるほど、AIで何かやっているというより、むしろエンジニアの人のセンスが必要なわけだ。 編集部 物語の意図をアトモスをうまく使って表現していますね。 山之内 アルベリッヒを歌うグスタフ・ナイトリンガーという歌手が凄くてね。いま聴いても恐ろしいね。テスト用に録った音源を、あまりにも歌の迫力がすごいんで、1発でOKにしたんですって。 黒崎 《指環》は神々の住まう天上の世界と、ニーベルング族が住む地底の世界、それに人間世界の3つの世界を行き来するんですが、やはり登場人物に説得力がないといけない。単に歌っているだけではなくて、深みが必要なんです。その意味でもこのレコーディングの歌手の力量はみんなすごいね。 山之内 ワーグナーの世界には歌手にもっともっとやろうって思わせるようなとこがあるんですね。そうやって人をドライブする力がある。作曲されてから100年経ってから録音してるのに、こんなすごい演技を引き出してしまうのです。これが怖いんです。今聴いているわれわれだってドライブされてしまって、夢中になってしまう。 編集部 神々といえども弱く醜い部分がありますし、アルベリッヒも色気を感じる面もありますし、とても人間臭いと言うか、一筋縄ではいかない人物描写がなされています。 音だけでサウンドステージを構築するショルティの試み 黒崎 ライトモティーフを意識的に使っているのも、作品に深みを与えていますね。 山之内 登場人物が出てくる前に、ライトモティーフをチラッと出す。そうすると次に誰が出るってのもわかるし、回想シーンなどで出てくることもあります。そういう仕掛けも、聴いているうちにハマっちゃう要素のひとつですね。 編集部 ちょっと謎解き的な要素でもありますよね。ワーグナー初心者として、《指環》という作品の面白さを感じるのは、演劇というか、視覚的な要素もある舞台として構想されているものなわけですが、このように音楽だけを引き出してもものすごくイマジネイティブである、っていう点もあります。 山之内 ワーグナーは天才で、音楽のフレーズの組み合わせで人の気持ちの高揚感を引き出したり、残虐性を表現したり、あるいは優しさを表現したりっていうのが、ものすごくいろんな方法論を持っています。 黒崎 《指環》の映像作品もたくさんありますが、カルショーがやろうとしたのは、音だけでそのサウンドステージを成立させようとしたんですよね。映像と音の両方があるメリットもあるけど、音だけのメリットもあるんですよ。音だけで作ることによるイメージを掻き立てる力はありますね。近年は演出に凝りすぎた《指環》もあって、演出家の意図をビジュアル的に押し付けられている、と感じるものもあります。だからこそ、映像がない方が自由な聴き方ができる。それは欠落のネガティブではなく、なかったが故の豊かさがあるんじゃないかと思いますよ。 山之内 カルショー自身が、《指環》のレコーディングについて振り返った『ニーベルングの指環 リング・リザウンディング』(学研プラス、山崎浩太郎 訳)という本があります。この本の中で将来のビジョンを描いてますが、いまでいうストリーミングサービスを予想しているようなことも語っています。その時代の技術で最高のものを追求しながらも、それ以外を否定したわけではなく、未来へのさまざまな期待も持っていたんじゃないかと思います。 音楽家たちの情熱が生んだ奇跡の作品 山之内 ショルティとカルショーの有名な写真です。二人の関係をよく表している写真で、二人とも絶対譲らない気概が伝わってきます。この時にいかに二人が真剣にワーグナーに取り組んでいたかとよく分かる象徴的な写真です。 黒崎 改めて聴き返しても、ほんとによくぞ作った、という思いですね。16時間を細切れに15分ずつに分けて、ひとつひとつ集中度を高めて録っていく。ライヴとはまた違った緊張感があったでしょうね。音楽家たちの情熱が生んだ、奇跡のような作品です。 山之内 ショルティの《指環》は奇跡のような作品、というのは私も完全に同意です。プロデューサーのカルショーがいて、指揮者のショルティがいて、レベルの高い一流の歌手陣がいて、奇跡のような偶然がその時に集中した時代でしたね。 編集部 「録音芸術」の凄みを感じさせるレコーディングでもあり、それが2023年に改めてドルビーアトモスフォーマットで配信されることで、新しい発見があるというのもすごいことですね。本日はありがとうございました!
黒崎政男/山之内 正 構成:ファイルウェブオーディオ編集部・筑井真奈