「難病でも…お兄ちゃんを助けたこの子を産みたい」先天性疾患のちいりお母 出産前の「苦渋の決断」
■「兄を助けてくれたこの子を諦めたくない」 ── 難しすぎる判断を迫られていたんですね。 佳寿美さん:でも、どうしても理央奈を諦めきれない自分がいたんです。息子が急性脳症から奇跡的に助かったとき、「お腹の中にいた理央奈がお兄ちゃんの命を助けてくれた」という思いが強かったんですね。「この子を諦めたくない。できることなら産んであげたい」という思いで、大阪で胎児を専門的に診てくれるクリニックを見つけ、そこに通いました。そこで、全身のむくみの原因を調べる染色体検査による出生前診断を受けました。
当時は、息子に知的障害が残るかどうかもわからないときでした。「障害のある子を2人も育てるのは厳しいかもしれない。でも…」と夫とたくさん相談して、悩みに悩んで、「出生前検査を受けて、もしひとつでも異常が見つかったら諦めよう」と。でも、諦めきれない思いはずっとありました。 医師からは、検査前に「何か異常が出ると思う」と言われたのですが、検査の結果、何も異常が出なくて。「もっと詳しい検査を受けましょう」と、遺伝子の検査も受けたんです。でも、そこでも何も異常が出なかった。お医者さんは「なぜだろう」と不思議がっていたのですが、「検査結果もすごくきれいだから、自信をもって産んであげてはどうでしょう」と言ってくださって。「この子、産まれてきたいんだな」って私も思えて、「この子を元気に産むぞ」と前向きな気持ちで、理央奈の出産に臨みました。
■生まれた直後、1枚だけ写真を撮り娘はすぐにNICUへ ── お医者さんから「産んであげてください」と言われて本当によかったです。 佳寿美さん:はい。検査で「何も異常がない」って言われていたから、私たち夫婦はもう大丈夫だろうと安心していました。自分が「こうしたいな」と思う出産や産後を叶えるためのバースプランも作って、パパが胸の上で理央奈を抱っこするカンガルーケアも楽しみにしていました。カンガルーケアのときは「この曲を流したいよね」って夫と曲も決めたりして。