「痛い!」幼少期に1万人に1人の難病を発症した浜口順子 10年間にわたる壮絶な闘病生活「お寿司屋さんで心が折れかけ」
このころの母は、「大人になるまで治らずに、一生この病気とつき合っていくのでは」と強い不安を感じていたそうです。 ── 入院中はどのような思いで過ごしていたのでしょうか。 浜口さん:私の病室には、末期の小児がんの子もいて、子どもながらに死に直面していることを感じていました。そのため、自分もつらいけれど「痛い、しんどい」と言えず、ひたすら我慢しながら過ごしていたことを覚えています。それから、面会時間が終わって自転車で帰っていく母親の姿を、病室の窓から見送っていたこともよく記憶しています。
── 寂しさや痛みを堪えながら過ごしていたのですね。 浜口さん:入院中の楽しみは、母と一緒に外出することでした。母が病院に外出届を出してくれて、本屋さんや公園に行くことがありました。7歳の誕生日を迎えた日も、外出の許可をもらい、新しいピンク色のドレスを着て、お寿司屋さんへ。味の薄い病院食で、「しょっぱいものが食べたい!」と感じていたんです。 しかし、お寿司屋さんで突然発熱し、激痛に襲われて「痛い!痛い!」と泣き叫ぶ私。痛みで歩けなくなり、さらに、薬をたくさん服用していた影響で、尿意を我慢することができず、お漏らしまでしてしまい…。新品のドレスを汚し、食べたかったお寿司も食べずじまいでした。
この日のことを振り返った母が、「濡れたドレスを着替えさせながら、『もう無理』と心が折れかけた」と言っていました。歩けなくなった私をおんぶして、大荷物を抱えながらなんとかタクシー乗り場まで向かったそうですが、周囲からの視線もつらかったそうです。
■一冊の本との出会いが、気持ちを前向きにさせた ── 当時、ご自身の病気をどのように受け止めていたのですか? 浜口さん:物心ついたころから入退院を繰り返していたので、「私はこういう体なんだ」と受け止めるほかありませんでした。医師からも「原因不明」と言われており、受け入れるほかどうしようもなかったように思います。