「女の努力は冷笑されてきた」伝説のテニス選手ビリー・ジーン・キングが示した性の平等
世紀の対決
1973年のボビー・リッグズとの〈男女対抗試合(バトル・オブ・ザ・セクシーズ)〉こそ、ついに機が熟し、私のなかの導火線に火がついた瞬間だった――そんなイメージがいまも世の中に定着したままになっている。 しかし実を言えば、その火種は子供のころから私の心のなかにあって、ずっとくすぶり続けていた。リッグズ戦や世間の熱狂が浮き彫りにしたのは、性別役割(ジェンダーロール)と機会均等をめぐって私と同じように闘い続けている人が何百万人、何千万人もいるという現実だった。 私があの試合で証明したかったのは、女は平等に扱われるに値すること、女だって男と同じようにプレッシャーのもとで巧みなプレーを見せて観客を楽しませられるということだった。試合の結果、そして試合をきっかけとして沸き起こった議論は、私たちの闘いをさらに一歩進める原動力になったと思う。 73年9月の試合当日、会場となったテキサス州ヒューストンのアストロドームには、当時のテニス試合の動員記録を更新する3万472人の観客が詰めかけた。全世界では9000万人がテレビ観戦したといわれ、スポーツイベントの視聴者数の最高記録を樹立した。 意外にも、私を分離主義者と見なす人がいまもいる。私は平等主義者だ。初めからずっとそうだった。どれだけ難しい目標であるかはわかっているが、万事における平等、あらゆる人々が力を合わせる社会の実現をめざして力を尽くしてきた。 その過程で学んだことがある。社会は、そして各世代のリーダーは、その時代のありようと意味について、繰り返し自問しなくてはならない。キング牧師の妻コレッタ・スコット・キングは、そのことを次のように鮮やかに表現している。 「闘争は終わることのないプロセスです。自由を完全に勝ち取れる日は来ません。世代ごとに闘い、勝ち取っていかなくてはならないのです」 〈南部キリスト教指導者会議〉や〈全米黒人地位向上協会〉の活動は今日、ブラック・ライヴズ・マターなどの運動に引き継がれている。〈全米女性機構〉が深めた男女同権論は、〈#MeToo〉〈タイムズ・アップ(TIME’S UP)〉運動の礎石となった。 1969年の〈ストーンウォール暴動〉〔1969年6月28日にニューヨークのゲイバー〈ストーンウォール・イン〉で発生した"暴動"。たびたび行われていた市警の踏み込み捜査に対する怒りが頂点に達し、LGBTQ+コミュニティが抵抗・反撃、多数の負傷者が出た。性的マイノリティ解放運動の出発点とされる〕は〈力を解放するエイズ連合〉〔1987年創立の市民団体。政府や製薬医学界のAIDSに対する無理解に抗議し、有効な対策を求めた〕の創設につながり、それがさらにLGBTQ+の人権や婚姻の平等化という、かつてはとうてい実現不可能と思われた進歩をもたらした。 メディカルスクールやロースクールのごくわずかな女性入学枠をめぐって女同士で競争せざるをえなかった時代は、そう遠い過去ではない。 それがいまや女が大統領候補になり、あるいは連邦最高裁の判事に指名されて"ノートリアスRBG"〔2020年9月に死去したルース・ベイダー・ギンズバーグのこと。「ノートリアス(notorious)は、「悪名高き」という意味だが、この場合は敬愛の情や「知らぬ者のない」といった意味がこめられている 〕などというニックネームで呼ばれたりしている。彼女が力とともに眠らんことを(Rest In Power)。 私が人生から得た、何より大切な不変の教訓を2つ。一つは、不平等を前にしてただじっと座っているだけで、世の中がよいほうへ変わるなどまずありえないこと。そしてもう一つは、精神の力を侮ってはならないことだ。人の精神を檻に閉じこめることは、誰であっても不可能なのだから。 小さな火花から始まった高遠な理想は、その人自身を高めるだけでなく、世界を一変させる力を秘めている。個人的なことは政治的なこと〔1960年代以降、とりわけフェミニズム運動で繰り返し使われているスローガン〕。 たった一人では小さなつぶやきでも、大勢が声を上げれば世界に轟く。勇敢な行動一つが――めざすものが万人に認められるべき人間の尊厳であれ、同一労働同一賃金やバスの前方の座席であれ――歴史を変える運動に火をつけることがある。 あなたはふいに、各国の大統領や女王、英雄やパイオニアたちに負けない影響力を持つかもしれない。あるいは、自分たちを劣っているように見せたり、自分たちの存在自体を消そうとしたりしているような現状をよしとしない、反骨精神にあふれた人々と同等の力を。