元アナ妻へ労い「辛かったんじゃないか」 夢の欧州移籍も…「間違いなく日本は安全」と戸惑い【インタビュー】
日常生活では常に困難が…「小さなストレスの積み重ねが大きなものに」
元アナウンサーでもある妻の晴菜さん(旧姓・後藤)と生後3か月の愛娘と過ごした海外生活には当初、戸惑いがあったという。文化も生活環境も、日本とは大きく異なる。日常生活では常に困難が付きまとっていた。 「日本の食材が手に入らなかったのは困りました。お米もタイ米しか手に入らなかったですし、お肉も手羽元を買ったら全く処理されていなくて……ちょっとしたところでの小さなストレスの積み重ねが、大きなものになっていたなというのは、今、思うとありますね。僕はサッカーがあったので気持ちを切り替えたり、集中することができたので、妻のほうが辛かったんじゃないかと思います」 チームメイトの振る舞いにも驚いた。当時のサンタ・クララはクラブの大半がブラジル人選手だったが「15時から誕生日会をやるぞ」と言われて、15分前に会場に到着した三竿は、その場に誰もいなくて愕然とした。場所を間違えたのかと不安になるなか、15時に1人が到着し、主催者は15時半に到着したという。「それは結構、衝撃だったんですけど、『でも、ここは日本じゃないしな』と思って。結局、全部それで片づけられていたんですよね」と振り返って笑った。 スタジアム内はサポーターにより、熱狂的なムードが醸成される。ヨーロッパ独特のその雰囲気は一方で、危険性も伴う。「日本では発煙筒が投げ入れられたり、ビールのカップが飛んだりすることはないですからね。もちろん、それだけ熱があるということも言えますし、やっぱり盛り上がりはヨーロッパのほうがあるなと感じることもありました。ただ間違いなく日本は安全です」。小さな子を持つ親として、そして、いちサッカー選手として踏み出した海外でのキャリア。今振り返れば「日本を出てみて良かったな、間違いなく良い経験をしたなと言えると思います」と、貴重な財産になっている。
クラブが2部降格、新シーズン始動後に届いた獲得オファー
サンタ・クララには、2022-23シーズン途中に加入。三竿は17試合に出場したが、チームは18位でシーズンを終了して2部降格に。三竿自身は個人として通用する手応えを得られていたが、移籍できるかは不透明だと感じていた。「最初から半年で次の移籍をすると決めてはいたのですが、クラブが2部に落ちてしまったので、シーズン最後のほうは『1年半は(サンタ・クララに)在籍することになるかもしれないな』と思っていました」と、覚悟を固めつつあった。 オファーが届くか不安になる、もう1つの理由があった。加入してからスタメン起用されていた三竿だが、2023年4月に入ってからはベンチスタートが多くなった。実はこの時期に三竿は代理人を変えていた。これにより、クラブは三竿が移籍しようとしていると判断したのか、先発から外れる機会が増えたのだ。 サンタ・クララが2023-24シーズンの開幕に向けて始動したタイミングでも、オファーは届いていなかったという。しかし、始動して2週間が経ち、ポルトでのキャンプが始まった日の夜、ベルギー1部ルーベンから待望のオファーが届いた。 「違約金も決めていなかったと思うので、『良いオファーが来ないと出られないかもしれない』と思っていました。オファーが届いた時は、すぐ『行く!』って決めて、ベルギーに移籍できました」 チームメイトたちがキャンプ2日目の練習に向けた準備するなか、三竿は1人、荷物をまとめてサンタ・クララ島に戻り、新天地となるベルギーに向かった。 [プロフィール] 三竿健斗(みさお・けんと)/1996年4月16日生まれ、東京都出身。東京ヴェルディ―鹿島アントラーズ―サンタ・クララ(ポルトガル)―OHルーベン(ベルギー)。中盤から最終ラインのポジションをそつなくこなすユーティリティ性が持ち味。キャプテンシーも備え、鹿島ではクラブ史上最年少キャプテンにも抜擢された。
河合 拓 / Taku Kawai