カントリーが求められる時代に知っておくべき実力者、カーリー・ピアースが語る数奇な歩み
カーリー・ピアース(Carly Pearce)という名前をどこかで目にしたことはあるだろうか? ビヨンセやポスト・マローンの最新作を例に挙げるまでもなく、カントリー・ミュージックがどんどん身近になっている中、現行のカントリー・シーンを代表するアーティストのひとりとして、確かな存在感を放っている女性である。 【画像を見る】ローリングストーン誌が選ぶ「歴代最高の500曲」 ケンタッキー州出身、テイラー・スウィフトが在籍していたことで知られるBig Machineからデビューしたのが2017年のこと。以来続々ヒットを放ち、カントリー関連のチャートや音楽賞の常連と化して、すでにグラミー賞(「Never Wanted to Be That Girl」で最優秀カントリー・デュオ/グループ・パフォーマンス賞)も獲得済み。殊に、離婚や長年の音楽的パートナーの死を受けて制作した2021年発表の3rdアルバム『29: Written in Stone』で絶賛を浴び、これまで以上に大きな期待を背負う最新作『hummingbird』を6月に送り出したばかりだ。とはいえ、まだまだ日本のリスナーには馴染みのない彼女、本人の言葉を通じて、生い立ちから現在地まで駆け足でそのポートレイトを描いてみたい。 * ―まずはケンタッキー州のテイラー・ミルというあなたの生まれ故郷について教えて下さい。 カーリー:ええ。シンシナティの郊外にある小さな町で、大の音楽好きの家族に囲まれて育った。特に祖父母がカントリー・ミュージックをこよなく愛していて、母はサザン・ロックが大好きだったな。私も、ちゃんと喋れるようになる前から歌っていたっけ。それにケンタッキーと言えば、ロレッタ・リンやパティ・ラヴレス、ザ・ジャッズ、リッキー・スキャッグスなどなど偉大なカントリーとブルーグラスのアーティストを輩出していて、彼女たちが象徴するアパラチア地方ならではのルーツィーな音楽カルチャーに浸って育ったと言えるのかも。手首には州の形のタトゥーも入れているし(笑)。 ―『29:Written in Stone』にはロレッタに捧げたパティとのデュエット曲「Dear Miss Loretta」が収められていましたよね。 カーリー:ロレッタからはソングライターとして一番大きな影響を受けたと思う。リアルな女性たちが体験するリアルな人生について綴ることにかけて並ぶ者はいないし、とにかくありのままを言葉にするところが好き。自分の曲が人々にショックを与える可能性があろうと、何も恐れることがなかった。残念ながら亡くなる前に直接会って話すことはできなかったんだけど、彼女のメッセージを録音したボイスメモがある。あの曲を聞いて、すごく気に入ったと言ってくれていて。本当にうれしかった! ―ではそもそも、あなたにとってカントリー・ミュージックの最大の魅力はどこにあるんでしょう? カーリー:私が思うに、とことん誠実だということが、カントリー・ミュージックのハートの部分で脈打っている。真実に根差した音楽、リアルライフに根差した音楽であり、それがこのジャンルに生命力を与えていて、だからこそ人々を惹きつけてやまないんじゃないかな。 ―中でも1990年代の女性アーティストたちから多大な影響を受けたそうですね。 カーリー:たぶん自分が子どもの頃にリアルタイムでたくさん聴いていたことにも関係しているんでしょうけど、とにかくみんないい曲を歌っていたから。声のトーンや質感もそれぞれに個性的で、ラジオで聴いていると、どれが誰の曲なのかすぐに分かった。そして自分が歌っていることを実体験の重みで裏打ちしていたように思うし、私もそうでありたいと思ってる。 ―ソングライティングはいつ頃始めたんですか? カーリー:11歳か12歳くらいの時に、自分にもできるのか試すつもりで曲を書き始めた。私はシャイな子どもで、人とうまくコミュニケーションを取れなかったから、自分が感じていることを言葉にするのは難しくなかった、曲を書くことで自分について理解を深め、自分の身に起きていることを分析して受け入れるために、曲を書いているところがある。だからこそ私は、ソングライティングに取り組む時はいつも、心理セラピーを受けに行くような気分になるんでしょうね(笑)。 ―そして16歳の時に高校を中退し、ドリーウッド(注:ドリー・パートンが自身の生まれ故郷に造ったテーマパーク。敷地内に多数のコンサート会場が設けられ、カントリーやブルーグラスのライブが行なわれる)でパフォーマンスを行なっていたとか。 カーリー:ええ。実際に歌うことが仕事になって、自分がやるべきことをやっているんだと実感できた。ハイスクールでは、シンガーを志望している生徒なんて私しかいなかったけど、ドリーウッドには志を同じくする大勢のシンガーやパフォーマーがいるでしょ? みんなにすごく支えられたし、例えば週に5日間、1日に6回ショウがあるという条件下で、体調が悪くてもステージに立たなくちゃいけないから、労働倫理も身に付いた。パフォーマーとして、新兵の訓練所でしごかれたような感じかな(笑)。 ―その後ナッシュヴィルに移り住んだものの、成功を掴むまで長い下積みを経ています。そんな中で転機になった曲や出来事はありましたか? カーリー:やっぱり、2016年に自主リリースしたデビュー・シングル「Every Little Thing」が注目を集め始めた時だと思う。あの曲がヒットしたからこそレーベル契約も実現したわけだし。それまでも曲を発表してはいたんだけど、最初から全然リアクションが違ったから。(注:のちにBig Machineから再リリースされた「Every Little Thing」は全米カントリー・エアプレイ・チャートで1位を獲得した。) ―3枚目のアルバム『29: Written in Stone』はシーン最大の音楽賞アカデミー・オブ・カントリー・ミュージック・アワードで最優秀アルバム賞の候補に挙がり、あなたの評価を決定付けましたよね。あのアルバムから得て、『hummingbird』に反映させられたことって何でしょう? カーリー:無防備になって自分をさらけ出すのが、怖くなくなったということかな。私は公衆の面前で離婚の手続きを進めながら(注:彼女の元夫マイケル・レイもカントリー・シンガーでふたりの結婚と破局は当時広くメディアで報じられていた)、同時に、『29: Written in Stone』に向けてリアルタイムで曲を書いていたから、アルバムではその一部始終をダイレクトに伝えているわけ。そういう性質上、どれだけ正直になれるのか自分を試すことができたし、何かを恐れたり、弁解する必要はないのだと学んだ。なぜって、世界のどこかで必ず私と同じような経験をしている人がいて、共感してもらえるはずでしょ? 私の場合、人生で最も辛い体験を元に作った作品で大きな成功を収めてしまったから、興味深い体験にはなったけど、人生っておかしなもので、思いがけないことが起きる。多少不愉快なことがあっても、私の使命は音楽を作って世界と分かち合い、曲を通じて私の考えに触れてもらうこと。そして、孤独に苛まれていて、自分の存在が社会に見えていないとか、自分の価値が社会に認められていないと感じて苦しむ女性たちの気持ちを代弁できることに、誇りを抱いている。ひとりの女性として、彼女たちは孤独じゃないんだと伝えることが、自分が果たすべき責務だと捉えているから、苦にはならないかな。 ―『hummingbird』と『29: Written in Stone』は、サウンド的にトラディショナルなカントリーとブルーグラスの色が濃く表れているという共通項がありますし、あなたは引き続き別れや裏切りや様々な試練を歌っていますが、出口のない苦しみに耐えていた前作と違って、『hummingbird』には明らかに軽さや解放感がありますね。 カーリー:まず、『29: Written in Stone』の成功で私はすごくプレッシャーを感じていて、最初は本当に怖かった。あんなに多くの人に受け入れてもらえるとは思ってもみなかった作品だし。だから新たに曲を書き始めるにあたって、「人々は私の世界観に心を寄せてくれたんだから、それを引き続き大切にしさえすれば、私のオーセンティシティは必ず作品に表れて、聴き手にも届くんだ」と自分に言い聞かせた。結果的には、前作の闇を経て、ちゃんと光を提示できた気がする。それが自分にとって主要なゴールでもあったし。もちろん人生は楽じゃないから、今回も曲に書かずにいられない事件には事欠かなかったわけだけど、タイトルに掲げているハチドリ(=hummingbird/注:幸運や平和を象徴している)は、やがて癒しがもたらされて何かいいことが起きるという予感を象徴していて、それがこのアルバムの本質なんだと思う。