ユニクロやGUの服、難民キャンプでリユース シェルバ英子さん「服のチカラ」信じて
【シェルバ英子さんのプロフィール】
1976 静岡県御殿場市生まれ 1998 広告会社を経て外資系アパレル会社に入社 2001 ファーストリテイリングに契約社員として入社。社会貢献室に配属。2005年に正社員に 2006 「全商品リサイクル活動」が始動 2009 立教大大学院21世紀社会デザイン研究科を修了。ユニクロの事例からソーシャルビジネスの可能性について書いた修士論文は、優秀論文に選ばれた 2022 サステナビリティ関連の情報発信を担うコーポレート広報部長に こうして2006年9月、全国のユニクロ店舗で全商品リサイクル活動が始動。翌2007年に最初の支援として、ネパール東部にあるブータン難民のキャンプに約5万点を届けた。 10歳くらいのある女の子に紫色のパーカを渡した。名前はギータ。父親に障害があり、高齢の祖母も一緒に暮らしていた。2年後に同じキャンプで再会すると、ギータは大切にしまってあった紫色のパーカを取り出し、特別な日に着ているのだと話した。 「私たちには支援物資という塊の一部でも、彼女にとっては大事な一枚の服。『服を届ける』という気持ちの大切さを、改めて実感した」
アルバイトで鍛えられた行動力
「人と関わり、日々変化する環境が好き」というシェルバさん。だが意外にも、難民支援や国際協力に元々関心があったわけではないという。 人前で話したり、陣頭指揮をとったりという行動力は、大学時代のキャンペーンガールのアルバイトで鍛えられた。当時、最盛期だったPHSの販促イベントでMCを務め、機能を説明したり、商品の良さをアピールしたり。努力や工夫が売り上げという数字で現れるのは楽しかった。性に合っていたのか、いつのまにか事務所のパソコンをあてがわれ、研修資料をつくり、ほかのバイトを育成する立場になっていた。 卒業後、広告会社に就職。だが激務がたたって身体を壊し、半年でやめた。ユニクロで働くきっかけになったのは社会現象にもなったフリースブームだ。日本発のファッションブランドの勢いに魅力を感じ、外資系アパレルから転職した。 社会貢献室は何もかもが新しく、やりがいはあった。だが、売り上げに直結しない自分の仕事に「うしろめたさ」も感じた。社内ボランティアを募っても、営業の担当から「そんなのに参加して何になるの?」「予算の無駄」と言われたことも。「社会貢献は、長い目で見ればファン獲得につながる未来への投資。でもそれを測る方法がなかった」