映画『ビニールハウス』:「人間の暗部をのぞきたい」イ・ソルヒ監督が“最悪の連鎖”を描く理由
稲垣 貴俊 「半地下はまだマシ」。アカデミー賞に輝く『パラサイト 半地下の家族』(19)を踏まえた衝撃のキャッチコピーで話題の韓国映画『ビニールハウス』は、貧しい訪問介護士の女性が、思わぬ事故をきっかけに“最悪の事態”の連鎖へ身を投じてゆくサスペンス。新鋭イ・ソルヒ監督が、現代社会と人間を見つめる創作について語った。
第27回釜山映画祭で3冠を獲得、韓国公開後1週間で観客動員1万人を突破。異例のインディペンデント映画『ビニールハウス』を手がけたのが、本作が長編デビューとなった新人監督イ・ソルヒだ。1994年生まれ、製作当時まだ20代とは思えない圧倒的筆力に、主演のキム・ソヒョンも脚本を読んで出演を快諾したという。 主人公の中年女性ムンジョンは、年老いた母親を介護し、少年院にいる息子との同居を夢みながら、農村地帯のビニールハウスで貧しい生活を送っている訪問介護士。盲目の元大学教授・テガンと、認知症を患うファオクの夫婦に、家政婦を兼ねるかたちで雇われている。 しかしある日、風呂場でファオクが転倒して絶命してしまった。自分の願いを諦められないムンジョンは、目の見えないテガンに真実を悟られないよう、ファオクの死を隠蔽しようと考える。ところが、それはさらなる悲劇の幕開けにすぎなかった……。
アイデアは自身の家族から
シリアスでハードな映画だが、着想のきっかけはイ監督の母親が、認知症になった祖母の介護を始めたことだったという。「日頃からボランティアに勤しみ、非常に利他的な人物であるはずの母が、肉親の介護になると他人の介護よりつらそうにしていた。そのとき、母が本当に望んでいることは何なのだろうかと考え、“介護”というキーワードを思いつきました」 経済格差、介護、認知症、性暴力……現代社会の切実な問題に、ムンジョンや老夫婦たち登場人物はみな追いつめられている。イ監督は、彼女たちを「身近な存在」と呼んだ。特殊な状況にはあるかもしれないが、決して社会の片隅に追いやられたわけではなく、私たちと同じ日常にいる人間たちなのだと。 「結局のところ、私の母にしても利己心があったのだと思います。このような言い方をすると母は嫌がりますが、“自分の人生が一番大事”という欲望があるのは人間として仕方のないこと。どんな人にも利己心はあるもので、ムンジョンの運命もまた彼女の利己心によって変化していくことになります」 イ監督は当初、きっかけとなったアイデアにしたがい、この映画を母娘の物語にする計画だった。しかし親子や兄弟といった家族関係を扱うと、目指していたサスペンス/スリラーになりづらいことに気づいたという。そこで、映画の主軸はムンジョンとテガン&ファオク夫婦の物語になった。 「私は脚本を書くとき、必ずひとつのシーンから執筆を始めます。『ビニールハウス』の場合は、自宅に帰ってきた夫のテガンが、盲目ゆえに妻の死体に気づかず、そのかたわらでムンジョンが息を殺しているというシチュエーション。この場面を最初に書いてから、徐々に全編を形にしていきました」 執筆の参考となったのは、日本の作家・桐野夏生の小説『OUT』(講談社文庫刊)。深夜の弁当工場で働くパートの主婦が暴力的な夫を殺害したことから、同じく日常に不満を抱えた主婦仲間たちが死体を解体し、4人で自由を目指すという物語だ。 「小説の中に流れている空気が大好きな作品です。私もあんな空気を描きたいと思い、小説を何度も読み返しました」