映画『ビニールハウス』:「人間の暗部をのぞきたい」イ・ソルヒ監督が“最悪の連鎖”を描く理由
主演女優キム・ソヒョンとの運命的な出会い
主人公のムンジョン役はキム・ソヒョン。ドラマ『SKYキャッスル~上流階級の妻たち~』(18~19)でブレイクしたのち、角田光代の同名小説を韓国でドラマ化した『紙の月』(23)などに主演した名優で、本作では「韓国のアカデミー賞」こと大鐘賞など映画賞6 冠を受賞した。イ監督は「予算の少ないインディペンデント映画なので、まさかキム・ソヒョンさんに出てもらえるとは思っていなかった」と振り返る。 「なにせこちらは新人監督ですから、最初はあまりにも恐れ多いと感じました。熟練の俳優であるソヒョンさんを、果たして私が演出できるのかと。キャスティングを考えていた時点では、むしろ演技の経験がない方を起用し、一緒につくりあげていくのがいいだろうと考えていたんです」 しかしながら、イ監督とキムの出会いは互いにとって運命的なものとなった。キムは初対面からイ監督を信頼し、「多くを語らずともわかり合える」と直感。実際に映画ができあがるまで、ふたりが作品について議論することはなかったという。イ監督も「すごく不思議な体験で、こんな出会いは二度とないのではないかと思う」と話した。 「もちろん脚本の読み方に正解はありませんが、ソヒョンさんとは求めるものが完璧に一致しました。ムンジョンについて劇中で直接描かなかったこともありますが、特に話し合いはせず、話したのはお互いの人生のことだけ。それでも感じ取れるものがあったのです」
「人間の暗部や欲望を覗き込みたい」
イ監督が敬愛する映画監督は、同じ韓国の巨匠イ・チャンドン。「私は人間の暗部や欲望を覗(のぞ)き込みたい。外側から決して見えない、人々が抱える不安や憂鬱(ゆううつ)を見たいのです」という創作のスタンスは、たしかにイ・チャンドン作品にも通じるところがある。 「自分の描きたい物語を探しつづけることは本当に難しく、ほとんど不可能だろうとさえ思いますが、優れた映画監督は誰もがその作業をつづけていますよね。私の場合、他者に強い興味があるので、出会った人たちの人生を想像することで物語を探しているような気がします。人と会った日の夜は、その人の人生をひとしきり想像しないと眠れないほど。とても疲れる人生なので、できるだけ人に会わないようにしています(笑)」 かくも徹底した人間観察と想像から誕生した『ビニールハウス』だが、驚くべきは、濃密な人間ドラマと社会問題への視線を両立させた本作が、わずか100分という上映時間に収まったこと。もっとも映画を観ると一目瞭然だが、イ監督は作品にとって本質的な情報だけを残し、そうではない情報をことごとくカットしている。 「映画というものは、全体の半分を描き、もう半分は観客の想像に委ねるべきだと思います。だからこそ何が起きたのか、また何が起こるのかをあえて説明しないことで、観客のみなさんが想像をふくらませてゆける映画にしたかった。いくつかのシーンを編集で唐突に終わらせているのも、その先をあらかじめ想像させないためです。私自身、映画の世界から現実に戻ってこられず、いつまでも考えてしまうような作品が好きなので」 ムンジョンの物語は、観る者の予想を裏切り、想像もできないようなラストシーンへと着地する。あなたはムンジョンの行動や決断、その終着点をどのように受け止めるだろうか……。もちろん、イ監督はそこにも想像の余地を残している。 「韓国の観客からはじつにさまざまな反応がありました。きっと、観る人によってムンジョンという人物の捉え方もそれぞれ違っていたことでしょう。けれど私は、それもまた映画の醍醐味だと思うのです」 取材・文:稲垣貴俊