「オーバードーズで亡くなった海外の俳優の洋画はよくて、日本の俳優が薬物で捕まると上映中止になる意味がわからない」高知東生9年ぶり商業映画はギャンブル依存症がテーマ
高知東生の商業映画復帰作としての主演映画『アディクトを待ちながら』は、どのような背景で生まれたのか。本作でプロデューサーを務めた「ギャンブル依存症問題を考える会」代表の田中紀子と、監督のナカムラサヤカ、そして高知東生の3人に話を聞いた。 【画像】薬物やギャンブル、アルコール、買い物、ゲームなどさまざまな依存症者で構成される「リカバリー」のメンバーたち
――まずはナカムラ監督が依存症と関わるようになった経緯を教えてください。 ナカムラ もともと私の叔父が、ギャンブルが原因の金銭トラブルを抱えていて、家族だけではなく、私も含めた親族も巻き込むような人だったんです。それで、4年ほど前に(田中)紀子さんが啓発ドラマを作りたいということで、友人の紹介で知り合いました。紀子さんといろいろとお話をしていくうちに、私が長年、叔父のことで抱えていたもやもやが晴れていって、私の叔父もきっとギャンブル依存症だったんだって、わかったんです。優しかった叔父が豹変したのは病気のせいで、しかも、私の親族はやってはいけないことを全部やっていたんだって。 ――「やってはいけないこと」というのは? ナカムラ 治療を促すのではなく、人格を否定したり、借金の肩代わりをしたり。あとは誓約書を書かせるとか。 田中 誓約書を書いて病気が治るはずないですよね。精神論やお説教でどうこうなる問題ではないのに、まわりの人がそういう対応をすることによって、本人のストレスもどんどん大きくなり、症状も悪化していく。依存症ではよくあるケースです。 ナカムラ 個人的にもそういった経験があったので、紀子さんから学んだことを生かして、映画を作ろうと思いました。取材で相談会に参加させてもらうと、多くの方が驚くほど同じような問題で悩んでいる。ギャンブルやアルコール、薬物や買い物、依存の対象は違うのに、抱えている問題の根は同じなんです。 田中 依存症の本人が苦しんでいるのはもちろんですが、家族だったりまわりの人たちがどう対応すればいいのか、あまりにも知られていない。ただ共倒れするだけのケースが多すぎるんです。 ――なぜそのような現状になってしまっているのでしょう。 田中 病院に行かないとか、行きづらいとか、自助グループの存在が知られていないとか、原因はいろいろありますけど、その根っこにあるのは、回復した人たちをリスペクトする文化がないからだと思いますね。私自身もギャンブル依存症から回復した当事者ですけど、回復するって生半可なことではありません。 私の場合は4年間かかりましたが、あんなにきつい思いをしてようやく回復しても、社会はなかなか受け入れてくれない。平気で心ない言葉をかけてくるし、バリバリ偏見を持った態度で接してくるのが当たり前。私は闘う女なので、負けねえぞと思ってやってきましたけど、たいていの人は心折れちゃいますよ。せっかく死ぬ気で回復しても、社会が受け入れてくれないなら、そりゃあ影を潜めて生きていこうと思っちゃうし、ましてや声を上げようなんて気にならないです。 ――依存症という病気かどうかの線引きは、どこにあるのでしょうか。 田中 一言で言えば、それにしか依存できなくなる。そして問題が起きてもやめられなくなる。誰しもストレスは抱えていますので、運動とかエステとか、たとえお酒であってもパチンコであっても、健康的に何かに依存することで解消しています。それが依存症になると、ほかのことには一切反応しなくなる。そのことでしか喜びを感じられなくなり、ストレスも解消できなくなります。