吉永小百合 転機となった1975年「青春の門」の“濡れ場”シーン「結局引き受けちゃって」
【今週の秘蔵フォト 新春特別編】国民的女優として半世紀以上もトップの座に君臨しているのが吉永小百合だ。現在79歳になるが、往年の美しさはまったく衰えず、いまだに最前線で活躍を続けている。 【写真】1983年…結婚会見で記者に囲まれる吉永小百合 1957年、12歳の時に「赤胴鈴之助」でテレビデビュー。62年4月公開「キューポラのある街」で第13回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞した。同年9月には橋幸夫とのデュエット「いつでも夢を」が300万枚の大ヒットを記録し、国民的愛唱歌となった。 60年代には「日活の看板女優」として、多くの「サユリスト」を生み出し、圧倒的な支持を受ける。もはや批評の対象すらも大きく超越して不動の地位を築いた。 その後も常人離れした活躍を続け、75年2月には五木寛之原作の「青春の門」(浦山桐郎監督)に主演。清純派から脱却する名演技を見せ、ヌードも披露して映画ファンのみならず日本中に衝撃を与えた。当時29歳。その際のインタビューが75年2月23日付本紙に掲載されている。 優等生からの思いがけないステップアップは結婚(73年)だった。厳しい父親からの垣根のような殻はすっかり取れてリラックスした女優の姿がそこにあったという。細く白い首にキラキラきらめくネックレスの輝きがそれを象徴しているようだと記者は表現している。 「正直、いろいろ悩みました。何度かお断りしようと思ったのですが、結局引き受けちゃって」 結婚前は禁止されていた全裸シーン。そのためにクランクインが中止になった作品も多かった。脚本を書き換えろ、主題曲を入れろなど父親のプッシュは多かったという。それも結婚により変わった。父親から離れ、父親のような男性を伴侶に選んだ。サユリストにとってその“年齢的距離感”は“聖域”として見守れると記者は指摘している。むしろかたくガードして見せなかった乳房の映像にその願いはかなえられているようだ、とも記している。 ちょっとやせたのではとの質問には「家にいると食べないから。43キロくらいかな。子供は好きなんだけど、今は考えてないの。料理はよく作ります。中華料理ですけど。やりたいことは主人との2人旅。できたらアフリカに行ってみたいわ」と笑顔を見せた。 返事は相変わらず優等生的だが、ふっと伏せた目に、かつての硬さはない。首筋から肩にかけていっそう丸みが出た、と記者は観察している。 並外れた努力家でもあった。「キューポラのある街」では撮影に入った日にすべてシナリオを暗記していたという。セットに入ってから台本を片手にセリフを覚える人が多くなっている芸能界では、珍しく古風なタイプだったという。しかしそのことが逆に肩に力が入った演技となる欠点にもつながったようだ。 「受けのお芝居がヘタだと言われました。自分ではそうは思わないけど一生懸命やらないといけないって、かえって硬くなってしまうんでしょうか」と語った。それでも浦山監督によると、今回の「青春の門」ではそれが取れてうまくなっているという。人間的にも大きな変化があったようで、親しい友人の奥さんと話しているような雰囲気が出てきたようだ。ワイ談でもはなから受け付けないポーズだったのに、今では逆に聞きたがるそぶりも見せたという。 同年3月13日には30歳の誕生日を迎えた。結婚と「青春の門」出演が名女優の器をさらに大きくしたようだ。ここからの大活躍は説明するまでもないだろう。数え切れないほどの映画やドラマに出演し、数え切れないほどの賞を受賞。そして数え切れないほどの日本人を泣かせた。吉永小百合は年を取らない。神様に与えられた永遠の美しさを持っている。それが証明された30歳目前のインタビューだった。(敬称略)
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