祝・紅白出場! LE SSERAFIMサクラのアイドル人生をプレイバック
元HKT48・IZ*ONEとして日韓で活躍し、“宮脇プロ”とも呼ばれるほど高いプロ意識に定評のあるサクラ(宮脇咲良)の、十数年に及ぶアイドル人生をプレイバック。 【写真】「細すぎる」と話題のサクラの美腹筋
劇団四季の子役としてキャリアをスタート
実はサクラのキャリアは、意外にもミュージカルの子役からスタート。 幼少期に母親の影響で地元のミュージカルスクールに通い始め、10歳の頃には劇団四季のミュージカル「ライオンキング」にヤングナラ役で出演しています。 幼少期は、将来の夢が多い子どもだったそうで、ミュージカル女優やお医者さんなどに憧れていたそう。特に医師の夢に向けて、中学受験をして毎日勉強に明け暮れる生活を送っていたのだとか。 その後HKT48加入を経て、高校生の頃には本格的に芸能の道を歩むことを決意したといいます。
HKT48の人気メンバーに
子役時代を経たサクラは、2011年当時13歳で、AKB48の姉妹グループであるHKT48の1期生としてアイドルデビュー。その後順調に人気を獲得し、早い段階でAKB48でも選抜メンバーに入るように。 2014年からは約4年間にわたりAKB48のメンバーも兼任。AKB48の10周年ソングで単独センターを飾ったり、選抜総選挙では最高3位にランクインしたりと、人気メンバーの地位を確立していきました。 ちなみに、現在LE SSERAFIMとして活動を共にしているメンバーたちは、HKT48時代のサクラの大ファンのよう。頻繁にHKT48時代のサクラのソロ曲『夢でKiss me!』を、曲中の決めゼリフまで完コピして大盛り上がりするそうです。
異国でゼロからのスタート
その後「PRODUCE 48」で順調にランキング上位をキープしたサクラは、最終順位2位で見事「IZ*ONE」としてデビュー。2年6ヵ月の期間限定のIZ*ONEでの活動に専念するため、“レンタル移籍”のようなかたちでHKT48に籍を残したまま韓国へ渡りました。 実は当初、サクラ自身は日韓で活動を両立させると思っていたそう。しかし、2年半にも渡りHKT48の活動を休止し韓国で活動することになり、衝撃を受けたと後に明かしています。 韓国語がほぼ分からない状態でデビューし、言語の壁にぶつかったサクラですが、同じIZ*ONEメンバーとなったイ・チェヨンを始め、日本語が少し話せる韓国人メンバーの助けもあり、次第に韓国語も上達していきました。
Lisa Takayama