風土変革におけるミドルの役割
ミドルは「ノイズ」になる
私たちは誰しも、自分自身の経験に基づいたストーリーや解釈、価値観のもとに生きています。たとえば、同じ「挑戦」という言葉を聞いても、私たちは、辞書的な定義や意味以上に、自身の経験から生成された解釈の影響を強く受けます。 哲学者のハンス=ゲオルク・ガダマーは、 「私たちの理解は、常に自分の持つ先入見や過去の経験によって方向づけられる」 と述べています。彼によれば、人間は、常に自分の文脈から物事を解釈し、言葉の意味も、その背景や経験によって構成します。「挑戦」を例にとれば、挑戦を自ら多く経験してきた人にとっては「挑戦」という言葉は前向きでエネルギーを高める意味となりますが、苦しみとともに記憶された人にとっては「挑戦とは苦しみをもたらすもの」という意味が強調されるのかもしれません。同様に、挑戦が目の前の現実とトレードオフの関係にあるのか、それとも共存するものなのかも、結局は各人の解釈の世界に委ねられるのが現実です。 組織である以上、トップのメッセージが浸透するには、中間層であるミドルの存在が大きく左右します。なぜなら、一般社員は、直接の上司の影響を大きく受けるからです。 組織行動学の権威であるエドガー・シャインは、 「リーダーや管理職は、単に方針を実行するだけでなく、それを解釈し、模範となり、日々の行動に価値観を組み込むことが求められる」 と言っていますが、まさにトップのメッセージは、中間層の解釈に大きく影響を受け、それはいわば浸透活動の不確実要素たる「ノイズ」となり得るのです。
無策という策
Aさんの会社では、メッセージの浸透が進んだ現場では、マネージャーが「トップのメッセージを自分の言葉で理解し、それに基づいて未来を語ることが自分の仕事である」とマネージャーの仕事自体を再定義していました。つまり「優秀なミドル」は、メッセージの解釈が優れているだけでなく、マネージャーの役割そのものの解釈も自分の言葉で柔軟に再定義し、意味づけていたのです。 風土変革は一部のマネージャーを中心とした活動だけでは不十分で、会社全体、すなわちあらゆる現場で、望ましい活動が見えてきてこそ達成されます。 一部の「センスのあるマネージャー」は、何もしなくても期待通りに影響力を発揮してくれますが、風土変革の実現には、その担い手を圧倒的に増やす必要があります。 そのことについて私はAさんと対話を重ねましたが、二人とも、そのための秘策を思いつくことはできませんでした。 そもそも「秘策」のようなものは存在するのでしょうか? 結局は、誰しもが自己の解釈する力を高め、対話を通じて新たな視点を共有し合うプロセスを大事にすることしか方法はないのかもしれません。つまり、ある意味強制的に、未来に向けた「対話の場」を創り、そこで対話し続けること。そうした場での体験を通して、自分の解釈がアップデートされないことには、変革は進まない、そう思います。 たとえ最初は一部の人からでも、その人達を発火点に、対話という相互作用の中で影響範囲が広がっていく、それが風土変革のプロセスの現実であり、ミドルの果たす大きな役割ではないかと思います。そして、トップであるAさんの役割も同じです。Aさん自身がマネージャーたちとの対話に飛び込み、対話を継続していくことが、ミドルの変化を確実なものにしていくのでしょう。 Aさんは言います。 「私は、少しずつでも現場を変えていく力を持つ人を増やすことに情熱を注いでいます。自分自身の想いが、より多くの現場で自由に語られ、挑戦する行動に引き継がれていくこと、そこにこそ会社の未来があると信じています」 改めてAさんとの対話の中で私が思うのは、風土変革には「秘策」は無いということです。課題解決を急ぐあまり、外側から施策を導入したところで本質的で継続的な効果にはなりにくく、あるのは「無策という策」といえる気がします。しかし、そのことに腹落ちするまで、これまでAさんとの間で対話する時間が必要でした。そして、これからも「無策」であることを腹に決めて、Aさん自身もコーチである私も、本気で対話していくエネルギーを持ち続けることが大事だと思っています。
大山悠(コーチ・エィ)