浦和 “最高傑作”の助っ人「日本でプレーするなんて」 クラブ史に刻まれる偉大な勇者の誕生まで【コラム】
05年最終節の新潟戦で全ゴールに絡む活躍
12月3日の最終節。首位はセレッソ大阪でG大阪、浦和、鹿島アントラーズ、千葉と続き、史上初めて最終戦で5チームに優勝の可能性がある大混戦となった。 他力本願でも浦和は勝つしかなかった。敵地での新潟戦は気温5.1度と底冷えし、みぞれも降った。そんな悪天候をものともせず、ゴール裏の100人以上のサポーターは、上半身裸で気勢を上げながら後方支援。前半4分、ポンテのフリーキック(FK)から堀之内聖が先制点を挙げ、同13分にはポンテが左FKを直接ねじ込む。後半15分にポンテを起点にマリッチ、同35分もポンテのパスから永井を経由し、最後は山田が決めて4-0の快勝。ポンテが全ゴールに絡んだ。 初優勝したG大阪に勝ち点1差及ばず、2年連続の2位に終わったが、とても感動的な最終戦だった。 サポーターにあいさつした後、ポンテは背番号10の白色のユニホームをゴール裏に投げ込んだ。 「雪が降るような寒さの中でも、いつもと変わらぬ熱い応援をしてくれた。感謝の気持ちを表し、恩返しするには優勝するしかない。チームはまだ一流とは言えないが、サポーターは世界トップクラスだ」 浦和は翌年、宿敵・G大阪を最終戦で下し初のリーグ王者に輝いたが、ポンテの同点弾が大きかった。07年のAFCアジアチャンピオンズリーグ制覇も、05、06年度の天皇杯連覇もポンテの活躍があればこそだ。 07年のJリーグ最優秀選手賞に輝いた愛称“ロビー”は、こうしてクラブ史上最高傑作の外国人選手に栄達するのだが、その鼓動が聞こえたのがFC東京戦で、胎動を感じたのが新潟戦だった。 [著者プロフィール] 河野正(かわの・ただし)/1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。
河野 正 / Tadashi Kawano