政治家が「緊縮」主張する理由 官僚の言いなりマスコミと学者が作った「財政規律」の世論 最近は財務省の手に乗らない若手も
【日本の解き方】 自民党総裁選では、石破茂元幹事長が「金融所得課税の強化」を、河野太郎デジタル相は「財政規律」を強調している。茂木敏充幹事長は「増税ゼロ」と発言してはいるが、緊縮財政や金融引き締めを好む政治家が多いのはなぜだろうか。 【表で比較】岸田政権との整合性が指摘される茂木幹事長の政策 昭和の時代は、高度経済成長をしていたので、政治家は「財政」をそれほど意識しなくても、「使う人」でいられた。当時の政治家で、財政規律を主張する人はあまりいなかった。 平成になってから、成長がガタンと落ちた。この要因は、金融引き締めと、緊縮財政による公共投資不足であるが、官僚たちはそこに触れずに「財政規律」を言い出した。その際、政治家に対して「財政規律を言わずに財政支出を言う人は無責任」というレッテルを貼った。 官僚はマスコミにもそうした説明をしたので、「財政規律を言わない政治家は無責任」というイメージが広がった。また、徹底して学者の取り込みを図ったので、平成になってからの成長鈍化という、学者にとっては興味深い研究課題をまともに取り扱う人は少なく、官僚の言いなりになる御用学者が跋扈(ばっこ)し、世の中は官僚主導で進んだ。 外から見ても分かりやすい金融政策では、海外の著名な経済学者から、日本の金融政策はおかしいと批判された。それでも、安倍晋三政権のアベノミクスが始まるまでは「日銀は正しい」というのが通説だった。 こうしたマスコミと学者が作り出した世論を、政治家も意識せざるを得ず、平成年代の政治家には、財政規律を主張することで責任ある人というイメージを持ちたい人が多くいる。 もし平成の初期からインフレ目標が導入されていたら、インフレ率が2~3%なのに引き締めた平成前期の金融政策は誤りだと分かっただろう。 また、公共投資の費用と便益を分析する際に使う「社会的割引率」(将来価値を現在価値に割り引く比率)を異様に高い「4%」とすることで公共投資を抑制した緊縮財政も、世界の先進国と比較すればおかしいのは明白だった。 筆者は、世界標準の金融政策や、正しい財政状況の見方をしたうえで、政策を実行すればいいという立場だ。その意味で、金融を引き締めるか緩和するかはインフレの状況、すなわち雇用の状況に依存する。財政を正しく把握するという意味では財政規律にも配慮するし、無責任な財政出動にはくみしない。