「時間がかかっても必ずまた戻る」新酒に決意 能登半島で被災の酒蔵「宗玄酒造」(珠洲市) 地震発生から1年
黒い瓦屋根に雲間から漏れる日差しが反射していた。荘厳な酒蔵のたたずまいが250年以上の歴史を感じさせる石川県珠洲市の宗玄(そうげん)酒造。酒造りの最盛期を迎えた12月中旬の蔵元で、杜氏(とうじ)や蔵人が仕込みに精を出していた。 純米酒や高級酒の仕込みが始まるのは例年、1月。そんな大事な時期に能登半島地震は直撃した。トンネル貯蔵庫がある裏山が崩れた。大量の土砂が電柱をなぎ倒し、10台の車を飲み込んだ。従業員が全員、無事だったのが不幸中の幸いだった。平成の時代に駐車場脇に建てられた平成蔵の壁には今も直径1メートル以上の穴が開いたまま。ブルーシートで覆っている。
「発災当初から、次の蔵入りには間に合わせる」と心に決めていた。社長の八木隆夫さん(61)は醸造の再開までの日々を振り返る。停電に断水、敷地の陥没。瓶詰めされた酒は6割が廃棄となり、醸造関連の機械もダメージを受けた。 片付けに追われた昨年1月、蔵人(くらびと)の発案で被災を免れたもろみを「袋吊り(ふくろつり)」と呼ばれる伝統的な手法で絞って販売した。3月ごろからは無事だったタンクの酒を瓶詰めできるようになった。土砂撤去や醸造機械の修理に土木業者やメーカーが全力で臨んだ。
いつもより1週間早い9月18日の蔵入り。再開の喜びはひとしおだった。しかし3日後、能登豪雨が地域を襲った。酒造りで最も重要とされる水の取水パイプが土砂で一部破損した。ただ、地震後のリスク対策で未使用のタンクにあらかじめ醸造用の水をためていたため、仕込みに入れた。 今年は1月から予定通り高級酒の醸造が始まる。酒造りはできても、建物や傾いたタンクの修繕は道半ば。「復興どころか復旧すらまだ見えてない」と漏らす八木さん。今季の酒造りが終わる5月まで、安心はできない。立ち止まる暇もなく駆けてきた1年。この地で酒造りの歴史を刻んできた。この先もずっとここで-。新酒を手に再興への決意を新たにする。