後期難波宮の屋根瓦落下跡54年ぶり公開に「瓦女子」感動
後期難波宮の屋根瓦落下跡54年ぶり公開に「瓦女子」感動 THEPAGE大阪
大阪市中央区の史跡難波宮跡の発掘調査現場で、昭和の発掘調査の後埋め戻され保存されてきた後期難波宮の屋根瓦落下跡がこのほど、54年ぶりに一般公開され、多くの考古学ファンらが見学に訪れた。倒壊した塀から落下した屋根瓦が、落下したままの状態で大量に残っている珍しいケースだ。史跡整備を計画する大阪市が、屋根瓦落下跡などの有効活用策を検討するために再公開。広島から「瓦女子」が駆け付け、感動しきりだった。
大量の屋根瓦が裏返しに落下したまま出土
調査地は中央区馬場町、旧NHK大阪放送局があった都心の一等地。北東には大阪城公園、南には中央大通をはさんで難波宮跡公園が広がり、西を向くと、大阪歴史博物館と現NHK大阪放送局の個性的な建物が立ち並ぶ。 1961年、大阪市の発掘調査で後期難波宮の屋根瓦が出土したが、大量に発見されただけではない。南北方向に走る瓦屋根付きの築地塀が、なんらかの事情でパターンと東側に倒れ込んだ。その際、塀もろとも瓦屋根が裏返しになるかたちで、地面へ落下したと推定される状態のまま発見された。 発掘調査後、瓦落下跡の長さ約10mのエリアをコンクリートブロックで囲い、瓦の表面に特殊な合成樹脂を塗る保存作業が施されたうえで埋め戻された。 それから54年、史跡難波宮跡北部地域の整備計画策定に取り組む大阪市が屋根瓦落下跡をどのように活用するかを検討するため、現在の保存状態を確認する目的で再発掘調査を実施。出土した当時と変わらない状態で保存されていることが判明し、一般公開された。
半世紀ぶり再発掘は現役スタッフには未体験ゾーン
後期難波宮は8世紀、聖武天皇が造営した宮殿。天皇が居住する内裏(だいり)を囲む築地(ついじ)塀がスローモーションでパターン──という情景を思い浮かべてほしい。倒壊した原因や、なぜ落下した状態のまま残ったのかは特定できない。 当時瓦は貴重品だったため、長岡京遷都に伴い後期難波宮が廃止された際、大半の瓦は長岡京へ運ばれ再利用されたと考えられる。そのため、当地に残る瓦は損傷が激しいものばかりだが、結果的に損傷が激しかったからこそ、瓦落下跡という異色の遺構を後世に残してくれたともいえようか。けがの功名だ。 半世紀を超えた54年ぶりの再発掘だけに、市教委文化財保護担当の現役世代スタッフにとっては、未知の埋蔵文化財と向き合うことに。再発掘作業は当時の記録を手かがりに正確な発掘現場を特定することから、慎重に進められたという。