「背水の陣」で発表した曲がヒット ボカロP吉田夜世さんのキャリア 会社員2年半「いよいよ…」
会社員としても前向き「忙しいときは9割」
「忙しいときは9割、そうではないときは7割の力を仕事に傾けていました」と、会社員としての仕事にも前向きに取り組んでいた吉田さん。プログラマーとしての仕事は「楽しかった」と振り返ります。 一方、創作活動のために余力も残していました。「特に、入社したての研修期間は、あまりエネルギーを使わなかったので創作意欲が湧きに湧きまくりました」と笑います。 仕事と音楽活動を両立させる中で、吉田さんはボカロPとしての目標を立てます。「1年で1万回再生までいく楽曲が出なかったら音楽を仕事にすることはやめよう」 ただ、その1万回再生も1年経たないうちに達成します。そこからは、出す曲のうち、半分以上は1万回再生を超えることを目標にコツコツと制作を続けていました。
リーダー任され「いよいよ両立難しい」
会社員としては2年目を超えたあたりでプロジェクトリーダーを任されるなど、負担が大きくなっていったといいます。仕事内容のおもしろみが減ったとも感じ、「いよいよこれは両立が難しい」と考えるようになったといいます。 「仕事がおもしろければ、辞めずに続ける道もありましたが、結果としてボカロPを上回ってこなかった」 当初の目標だった、音楽活動での収入が会社員収入を超えることはありませんでしたが、2年半での退社を決めました。 会社員のうちは安定した収入が見込めた一方、音楽で生活をしようとすると、収入面での不安などもあったといいます。ただ、「貯金がなくなったらバイトしてがんばろう」と意を決します。 会社員を辞めたことで、音楽制作について考える時間や作品へのこだわりは深度を増していきました。一方で、ヒット曲はなかなか生まれず、1年ほどが経過。 そんなときに生まれたのが「オーバーライド」でした。
狙い的中も…爆発的な再生回数には時間
「これがうけなかったらまずいぞ、というタイミング。背水の陣でした」と、当時を振り返ります。 ボカロ曲がヒットするためには、リスナーによる二次創作意欲をかき立てることが重要な要素になります。「曲単体の力で伸びることは比較的珍しく、二次創作で広がる方が多いです」(吉田さん) 吉田さんはその点を鑑み「特徴的なMVとサビのインパクト」を意識した上で、最終的には「勢いに任せて書いた」といいます。「勢いで書いた曲の方がうけがいいということは往々にしてあります。自分の思いが色濃く出て、やりたいこともしっかり表現でき、さらには思いがある曲は聞き手にも伝わります」と、狙いが的中。 発表直後から反応は上々でしたが、なかなか爆発的な再生回数には至りませんでした。貯金も底をつきかけ、「来月からバイトを探そう」というタイミングで、再生数がぐんと伸びました。それも、リスナーによる二次創作が積み重なった結果でした。 吉田さんは「胸をなでおろしています」と笑います。