重量挙げ日本代表・宮本昌典が2度目のオリンピックを前に語った言葉。「16年続けた競技を楽しんでいきたい」
重量挙げ日本代表はまっすぐな笑顔と的確な言葉で競技の楽しさ難しさを語る。2度目のオリンピック、彼は何を望むのか。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」No.885〈2024年8月1日発売〉より全文掲載) [画像]宮本昌典選手 * みやもと・まさのり/1997年生まれ。小学校6年生より重量挙げを始める。東京国際大学進学後は64年の東京、68年のメキシコ・オリンピックで優勝した三宅義信監督に師事。2017年に世界ジュニア選手権の69kg級で2位。21年、東京オリンピック7位。23年、アジア選手権大会優勝。24年、アジア選手権大会3位。スナッチ、クリーン&ジャーク、トータルの日本記録保持者(24年6月現在)。現在、東京国際大学でコーチを務めながら、パリ・オリンピックでメダルを狙う。
私生活を変えたことでカラダは締まった。それで気持ちも変わっていった。
重量挙げの男子73kg級でパリ・オリンピックの出場権をつかんだのが宮本昌典である。オリンピック出場の条件は細かく、なかなか説明できないのだが、今年に限って言えば、指定された7つの大会のうち2つの出場は必須、残り5試合から3試合を選び競技を行う。そしてこの中で高重量を挙げた上位10人の選手が晴れの舞台に立てるのだ。 重量挙げ選手にとって、これは極めて過酷である。信じられないような高重量を挙げるには、強化、調整、本番と、細かなスケジュールが必要となる。普通の人であれば床から浮かせることすらできない重さのバーベルなのだ。だから、まずは安全が一番となる。ピークを作って試合に臨むなら、とりあえず年に2回というのが普通。ところが選考では、約4か月で5大会の出場が課せられたのだ。これは厳しい。宮本は言う。 「みんな同じ条件なので、自分はどういう戦略で行くかというのを、まず考えて大会を選んでいきました。よかったのは2つ目の大会で、344kgという記録が出たこと。この記録がそのときの世界2位で、あとの大会はまずは様子見でいいかと思うことができて、大きかったです」 5試合をすべて全力で行うことはできない。取り返しがつかないことが起こる可能性もあるのだ。その点、宮本は好スタートを切った。次からの大会に慎重に臨むことができたのだ。相手がどの重量を挙げる、自分には追いついていない。そんなことを考えつつ、フルでなくトレーニングの一環として大会に臨めたのだ。 ただ、予選の最終大会には多少の危惧があった。世界順位がトップ10内でも、国内1位でなくては選ばれないからだ。もし、344kgを国内で超える選手がいればそこでオリンピックは潰える。 そして4月、タイのプーケットで予選最終戦のワールドカップが開催された。世界に知られたリゾート地だが、宮本には一切関係なかった。ただ、最後に記録を1kgでも増やすことのみ。 この地には5日前に入る。慣れないタイの食事もまったく気にならなかった。太い男なのだ。「普段のままの感じで大会に入れました」と笑う。そして当日、プラットフォームに立った。