「私を止めてほしい」―ストーカーからのSOSメールが届いた 専門家は治療が必要と指摘
他殺が心中という解釈に
加害者のほうから駆け込んでこないかぎり、私が加害者と会うチャンスは被害者が相談に来る時だけです。加害者の家族が引っ張ってくることもありますが、もともと家族の言うことを聞かない人が多いので例外的です。 私は被害者から相談を受けると、経緯を聞き、メールの文言に注目し、加害者の心理レベルでの危険度を測ります。他の対策に優先して加害者のカウンセリングを行うのは(2)の段階、せいぜい(3)の初期までにしています。 この段階なら、カウンセリングを意図してまずは会いに行き、被害者の保護と警察に訴え出る支援、加害者の行動監視と医療的措置の機会を作ること(加害者家族とも話し合う)になります。 (3)の頂点に達し、殺人の決意を固めた加害者に対しては、治療と回復という目的は引っ込め、最悪の事態を回避することが最優先になります。狭義の精神病者にはカウンセリングが逆効果となるように、殺人を決意した人にはどんなカウンセリングも効果がない。いわば「ストーキング中毒症」で、自家中毒のような重篤な病態にあります。 そうした場合、被害者の安全確保は当然として、加害者側の家族とも連携して、自宅で暴れたり、自傷行為がある時は措置入院を含めて加害をやめさせる対応、告訴できるものなら警察に逮捕してもらうことを急ぎます。 医学的に「中毒症」は毒性のある物質が許容量を超えて体内に取り込まれ、正常な機能が阻害されている状態です。ストーカーに当てはめると、相手に対する強い関心に意識が占領され続けることで、「殺すしかない」と観念に縛られてしまう。精神が慢性中毒症になっているといえるでしょう。 薬物中毒は適切な薬剤を投与すれば数カ月で8割は解毒可能とのことですが、依存自体がなくなるわけではありません。症状が収まったというので退院させたら、また薬物に手を出すことはよくあります。 ストーキング中毒症も解毒治療が必要で、相手を殺すと決意を固めている時点で、一旦は身柄を拘束し、行動を監視しながら治療を施すべきなのです。 もともと彼らに判断力がないわけではなく、よくよく検討した上で、殺す決断をしている。「殺す」とは自分も社会的に「死ぬ」ということで、その覚悟が要る。カッとなって殺してしまうのではなく、強固な意志と計画性のある殺人です。治療としては入院を前提とした「認知行動療法」や、「条件反射制御法」が有効と思われます。 殺す対象は人だけでなく、相手の飼っている犬や猫ということもあります。あるDV男性は同棲相手ばかりか猫までいじめるので、女性は猫を連れて家出しましたが、職場の帰り道をつけられて避難先を割り出されてしまった。その猫が撲殺されたことで、女性は彼から離れたら自分も殺されると思ったといいます。 私が男性と会って彼女から離れるように説得すると、「あんな女はもういい。ただ出ていくなら庭に埋めた猫を掘り出して、持っていくように言ってくれ」と言う。動物愛護法違反で訴えたものの、証拠不十分で被害届は受理してもらえませんでした。 この女性はその後シェルターに入ることができましたが、愛猫の遺骨が入った小袋をずっと身に着けています。 ストーカーは相手に拒絶され、見捨てられたという被害者意識を味わい続けている。これは耐え難いもので、怒りで全身が持ちこたえられないほどです。 もう1分たりとも耐えられない、相手が生きているだけで屈辱に見舞われる。自分を拒絶した相手の存在は脅威であり、逃げ出したい──。ストーカーは解決法を考えます。それは相手に究極の敗北感を与えること。彼らにとって殺人は復讐であり、何より二度と屈辱を味わわずにすむ「解放」でもあるのです。 しかし、そうして相手を殺した途端に、今度は自分独りでは生きられない、と自殺してしまう。彼らはそれを心中になぞらえることがありますが、ストーカー殺人は、永遠の愛を誓い合う本来の心中とは真逆の行為です。 こういう加害者を治療に結びつけるために、裁判所が医療措置命令を出せるようにならないものかと思います。