慰労のはずの東京見物で……。製糸工場女性従業員らの悲劇伝える丹後大仏
初冬の丹後半島は少し小雨混じりの日が続いていた。高速道を降り国道178号線を走る。しばらくすると海を挟み並行して日本三景の一つ、天橋立が見えてきた。 約3.6km続く砂州には数千本の松が生い茂る。右手にその松林を眺めしばらく走ると、湾に突き出た半島沿いに木造の建物がぎっしり建ち並ぶ風景が見えてくる。映画やドラマのロケ地としても有名になった京都府伊根町の舟屋群。水際ぎりぎりに建つ家屋はまるで海上に浮かんでいるような不思議な風景だ。 京都府内といえども市内から電車で約3時間、車でも2時間はかかる場所だ。圧倒的に人気のある観光地の京都市内、大阪だけでなく、古き良き日本の原風景を求めて丹後、若狭地方といった日本海側の方にまで足を延ばす海外からの観光客が今増えているという。
舟屋のある伊根浦から少し内陸に入った筒川地区、府道から少し登ったところに石造の大仏が鎮座している。丹後大仏といい無病息災にご利益があるという。 大正8(1919)年、製糸工場の従業員が東京見物に出かけた際、スペイン風邪にかかり42名もの方が亡くなったという。その供養のために建立された。当初は青銅製のものだったが戦争による金属類の供出により、現在の石仏になったという。 この丹後大仏にまつわる人物に、丹後の偉人とされる品川萬右衛門がいる。明治34(1901)年、筒川村長を務めた後、地元のために製糸工場を設立する。工場は順調に業績を伸ばし、当初の女性従業員50名から明治40年には100名を超える規模に発展していったという。 しかし、その後工場は火災で全焼し莫大な損失を負ってしまう。それでも役職員が一致団結し、再建を果たす。5年で借金を返済し、従業員の慰労のために東京見物を行った。従業員を家族のように大切にしたという萬右衛門は、その旅行に行く際、149人の女性従業員全員に同じカバン、制服、靴を買ってあげたという。(つづく) ※この記事はTHE PAGEの写真家・倉谷清文さんの「フォト・ジャーナル<“舟屋と伝説の町” 京都府伊根町へ>倉谷清文第10回」の一部を抜粋しました。 (2017年11、12月撮影・文:倉谷清文)