苦労(九郎)話の応酬(奥州)です! 九郎判官義経と平泉を巡る物語
大阪・朝日放送のアナウンサーでありながら、社会人落語家としても活動する桂紗綾さんに「歴史」と「落語」をまじえたお話を楽しく語ってもらう記事です。 今年は世界文化遺産・中尊寺金色堂の建立900年。講談師・宝井一凜先生の新作で、奥州藤原氏が築いた黄金郷・平泉が舞台の『奥州の義経』という講談があります。源九郎判官義経の生涯のうち、奥州での出来事を中心とした話で、前半は三代当主・藤原秀衡の庇護を受けた若武者時代、後半は兄頼朝による追討から逃げ匿われた最期。特に義経が初めて奥州に足を踏み入れた前半で平泉の様子がありありと描写されています。 義経が京都の鞍馬寺から武蔵坊弁慶や伊勢三郎義盛らを伴い、京都と陸奥を行き来していた商人・金売吉次の導きにより、平泉で栄華を誇る藤原秀衡の元へ。三男の忠衡が白河の関まで一行を迎えに行くと、義経が「この辺りは随分賑やかだが、ここはもう平泉か?」「いえいえ、平泉はまだ北へ十里程進まねばなりませぬ。平泉の賑やかさはこれぐらいのものではございませぬ」忠衡の言葉を受け、翌日平泉に連れられた義経は驚いた。 奥州藤原氏初代・藤原清衡が前九年・後三年の合戦で亡くなった人を弔うために建立した金色堂で名高い中尊寺を始めとして、堂塔四十・僧坊五百の大伽藍・浄土庭園も美しい毛越寺、京の都の平等院を模して建てられた無量光院、二代基衡の妻が開いた観自在王院、その他に秀衡公の住まう伽羅御所、政務の中心・柳之御所、荘厳な建物が所狭しと立ち並ぶ。感心した義経「平泉とは大層立派でござるの。これ程とあらばさぞかし良い兵をお持ちであろう」 ― 平泉の栄耀栄華の極みに触れた義経、打倒平氏を胸に佐藤継信・忠信兄弟らと馬術を磨き、22歳の時に頼朝の挙兵に応じてこの地を去る。戦で武勲を立てるも、兄に追われる身となり再び秀衡を頼り平泉へ。しかし、秀衡逝去の二年後、頼朝からの度重なる義経追討要請に屈した息子泰衡に攻められ自害。結局その後、奥州藤原一族は大軍の鎌倉方に攻め入られ降伏、頼朝は奥羽平定を成す。 実は、この講談には地元の方々の奥州平泉への想いが込められています。2008年、平泉はユネスコから世界文化遺産登録延期という判断が下されました。落選理由の一つに、歴史的建造物の存在だけでは足りず、土地ならではの文化が必要であると考えられました。丁度その時期、奥州市民による講談同好会〝衣川青凜会〟が発足。奥州の歴史を自ら語り伝えていきたい、それには講談が最も適した芸能だと立ち上げられたのです。 青凜会の方々が奥州平泉の歴史に纏わる台本を書き、講談師・宝井一凜先生が然るべき講談の形に仕立てる。そうして生まれたのが『奥州の義経』でした。他にも、東北進出を目論む朝廷軍に抗った蝦夷の首領・阿弖流為(アテルイ)。その阿弖流為亡き後に東北を治めた豪族安倍氏最後の総大将・安倍貞任。これらを主人公にした講談も創られ、確かにその地の歴史を語り継ぐための文化を地元の人々が興しています。 そんな取り組みも後押しをしてか、2011年に平泉は、中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山が〝仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群〟として、念願の世界文化遺産に登録されました。 また忘れてはいけないのは、奥州藤原氏を語る際に切っても切れない悲劇のヒーロー・源義経の存在です。東北、関東、関西各地にゆかりがあるだけでなく、最期があまりにもドラマチックなため、伝説や物語が脈々と語り継がれました。東北舞台の講談を青凜会と共に何作も創られた宝井一凜先生も、奥州以外の地でそれらの創作講談を高座にかける際は『奥州の義経』を選ばれています。それはやはり義経がどの地域のお客様にも馴染みがあるから。 しかし反対に、奥州藤原氏を登場させずには義経の一生も描けません。決して義経を見捨てることのない秀衡との関係は美談で、義経ファンは秀衡ファンになり得るのです。重要な役柄のため、映画やドラマでも必ず名優が配役されます。 歴代のNHK大河ドラマだけでも藤原秀衡役は『源義経(1966年)』滝沢修さん、『新・平家物語(1972年)』加藤嘉さん、『炎立つ(1993年)』渡瀬恒彦さん、『義経(2005年)』高橋英樹さん、『平清盛(2012年)』京本政樹さん、『鎌倉殿の13人(2022年)』田中泯さん、錚々たる顔ぶれです。 秀衡を貴顕紳士に印象付けたのは歴史上のスーパースター義経の影響が大きく、義経の人気ぶりが奥州藤原氏を全国区にしたと言っても過言ではないのでしょう。このように支援や敵対等の何かしらの影響を互いに受け合い、時代の脚光を浴びた歴史人のペアを見つけるのは楽しいです。源頼朝と北条義時、浅野内匠頭と吉良上野介、紫式部と清少納言、掛布雅之と江川卓。そして私が特質したいのは立川談志と古今亭志ん朝……話芸だけでなく芸能は全て大切です。歴史上の人物の名声を広めるのは、いつの時代も芸能芸術文化の力ですから。
桂 紗綾